yuagariart

江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

飯田を訪れた富岡鉄斎に師事した安藤耕斎

2021/10/22  

左から、安藤耕斎「東坡三養図」「山庭夏涼図」「蝦蟇・鉄拐仙人図」 伊那谷には、古くから白隠や谷文晁ら多くの文人墨客が訪れ、この地の若者たちに大きな影響を与えているが、明治8年に初めて飯田を訪れた富岡鉄 ...

渡辺小華に師事し花鳥画を多く残した大平小洲

2021/10/20  

大平小洲「群芳争妍図」 大平小洲(1849-1930)は、下伊那郡野池村(現在の飯田市千代野池)に生まれた。生家は酒造業も営む豪農で、父の大平新右衛門は、若い頃に京都に出て四条派の岡本豊彦に画法を学び ...

諏訪部直亭ら信州の児玉果亭の門人

2021/10/18  

諏訪部直亭「十六羅漢」 渋温泉で作画と教育に専念していた児玉果亭のもとには、多くの弟子入り志願者が集まった。近郊の人たちは子どもに才能の兆しが見えればすぐに「果亭さん」に見てもらい、また、小坂芝田や青 ...

児玉果亭の画系を継いで大成した小坂芝田

2021/10/15  

小坂芝田「春秋山水図」 小坂芝田(1872-1917)は、上伊那郡小沢村(現在の伊那市)に生まれた。生家は藩政時代からの手習師匠(読み書きを教える寺小屋の師匠)で、曽祖父の慎独斎は能書家で、祖父の永眠 ...

渋温泉を拠点に明治南画壇で活躍した児玉果亭

2021/10/13  

児玉果亭「烟霞呑吐図」山梨県立美術館蔵 児玉果亭(1841-1913)は、松代藩領沓野村渋温泉(現在の山ノ内町)に生まれた。生家は、「松坂屋」という屋号の商店を経営するかたわら、農業も行なっていた。果 ...

清貧に徹し飄々とした画家人生を送った長井雲坪

2021/10/11  

長井雲坪「秋山群猿」 長井雲坪(1833-1899)は、越後国蒲原郡沼垂町(現在の新潟市)の代々医師の家に生まれた。12、3歳頃から地元の塾で読み書きを学び、その後、近くに住む医師・大倉良庵のところに ...

柳沢文真、加藤半渓ら佐久・上田の南画家

2021/10/8  

柳沢文真「商山四皓之図」 柳沢文真(1832-1915)は、南佐久郡桜井村(現在の佐久市)に生まれた。父の柳沢文叔は谷文晁に師事した南画家で、文真も8歳のころから谷文晁に師事し、文晁没後はその子・文二 ...

長尾無墨ら高遠の南画家

2021/10/5  

長尾無墨「百雁図」 長尾無墨(1832-1894)は、高遠藩士の子として生まれ、学問を父と藩の儒者・中村元恒に学んだ。漢学の素養があり詩文にも長じ、特に絵画を得意とし、田能村竹田に私淑して多くの作品を ...

伊那谷の漂泊画人・原蓬山

2021/9/27  

原蓬山「残楓の図」 原蓬山(1823-1876)は、下伊那郡清内路村(現在の阿智村)に生まれた。12、3歳で島田村の八幡宮別当神宮寺の松溪住職に預けられ、読み書きを習った。寺の近くに佐竹蓬平の門人だっ ...

飯田藩主堀家のお抱え絵師・島高麿

2021/9/20  

左:島高麿「高砂尉姥図」、右:島高麿「人物像」 島高麿(1791-1871)は、伊那郡南山村(現在の泰阜村)に生まれた。飯田藩主堀家のお抱え絵師として国詰で飯田城につとめ、日常は、城中の障壁画の新規画 ...

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