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江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
2024/12/11
中村彝「エロシェンコ氏の肖像」東京国立近代美術館蔵 中村彝(1887-1924)は、明治20年に茨城県仙波村(現在の水戸市)に生まれた。生家は代々徳川家に仕えた旧士族の名家で、祖父の三五右衛門は、藤田 ...
2021/7/6
小林巣居人「氷とける」 茨城県稲敷郡長戸村(現在の龍ケ崎市)の農家に生まれた小林巣居人(1897-1978)は、20歳の時に画家を志して稲敷郡牛久村に住んでいた小川芋銭を訪ねた。その際芋銭に上京を勧め ...
2021/7/6
飛田周山「蓬莱」 飛田周山(1877-1945)は、茨城県多賀郡大塚村(現在の北茨城市磯原町)に生まれ、16歳で上京、叔父である彫金家の海野美盛の書生となった。19歳の時に美盛の勧めもあり、当時東京に ...
2024/12/11
木村武山「阿房劫火」 茨城県笠間市に生まれた木村武山(1876-1942)は、幼いころから画才に恵まれ、明治24年、岡倉天心(1863-1913)が校長をつとめていた東京美術学校に入学した。この時、3 ...
2024/12/14
横山大観「秩父霊峰春暁」宮内庁三の丸尚蔵館蔵 横山大観(1868-1958)は、明治元年水戸藩士の子として現在の茨城県水戸市に生まれた。10歳の時に一家で上京し、湯島小学校に転入、つづいて東京府小学校 ...
2021/7/6
岡倉天心「驢馬と人物」 明治10年代、東京大学の教師として招かれた米国人アーネスト・フェノロサは、日本美術の優秀性を強調し、伝統的狩野派の様式に西洋画を折衷した新しい日本画を作り出そうとした。その頃、 ...
2021/7/6
左:山下りん「主ノ入城(エルサレム入城)」、右:山下りん「聖神降臨(至聖三者の主日)」 常陸国笠間藩(現在の茨城県笠間市)の笠間藩士の家に生まれた山下りん(1857-1939)は、15歳の時に嫁入り話 ...
2021/7/6
五百城文哉「百花百草図」栃木県立美術館蔵 五百城文哉(1863-1906)は、水戸藩士の家に生まれ、幼少期を水戸で過ごしたのちに上京、明治17年に農商務省山林局で標本を描く仕事に就いた。また、同時に高 ...
2024/12/11
左:二世五姓田芳柳「羅漢図」坂東市立猿島資料館蔵右:二世五姓田芳柳「菅公梅ヲ詠スルノ図」宮内庁三の丸尚蔵館蔵 下総国沓掛(現在の茨城県坂東市沓掛)の大工の棟梁の家に生まれた二世五姓田芳柳(1864-1 ...
2025/3/27
松本楓湖「伊賀局」 松本楓湖(1840-1923)は、常陸国河内郡寺内村(稲敷市寺内)に漢方医である松本宗庵の三男として生まれた。嘉永6年江戸に出て、狩野派の沖一峨の内弟子となり頭角を現わすが、安政2 ...
2021/7/6
左:猪瀬東寧「秋景山水図」茨城県近代美術館蔵右:猪瀬東寧「青緑山水図」茨城県立歴史館蔵 下総国豊田郡三坂新田(現在の茨城県常総市)に生まれた猪瀬東寧(1838-1908)は、19歳の時に画家を志し、故 ...
2021/7/6
奥原晴湖「芦雁図」茨城県近代美術館蔵 奥原晴湖(1837-1913)は、古河藩重臣・池田政明の四女として下総国古河城下片町(現在の茨城県古河市)に生まれ、家老の鷹見泉石に学問を学び、藩士の枚田水石に画 ...
2024/12/11
河鍋暁斎「鍾馗ニ鬼図」板橋区立美術館蔵 河鍋暁斎(1831-1889)は、天保2年に下総国古河(現在の茨城県古河市)の城下に生まれ、数え2歳の時に家族とともに江戸に出た。7歳で浮世絵師・歌川国芳のもと ...
2021/7/6
月僊「鍾馗図」独庵宗譲賛 水戸市立博物館蔵 水戸の三画人と呼ばれる林十江、立原杏所、萩谷セン喬の3人が、そろって影響を受けたとされるのが、伊勢の画僧・月僊(1741-1809)である。月僊は名古屋に生 ...
2021/7/6
萩谷セン喬 左:「孔雀図」、右「鯉図」ともに水戸市立博物館蔵元は表裏一体の衝立として描かれたもの ※萩谷セン喬の「セン」は「僊」の「ニンベン」をとった字 萩谷セン喬(1779-1857)は、林十江の2 ...
2021/7/6
立原杏所 左:「蘆雁図」、右:「葡萄図」(重文) 立原杏所(1785-1840)は、水戸彰考館総裁・立原翠軒の長男として水戸下市横竹隈に生まれた。杏所の号は邸内にあった杏の木によったという。画をはじめ ...
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