-
-
高橋貞一郎ら信州の春陽会の画家
2022/1/31
春陽会は大正11年、日本美術院洋画部を脱退した小杉未醒(放菴)、足立源一郎、倉田白羊、長谷川昇、森田恒友、山本鼎の6名と梅原龍三郎が創立会員、そして創立客員として草土社の岸田劉生、中川一政、木村荘八、 ...
-
-
日本に本格的にフォーヴィスムを移入した中川紀元
2024/12/20
中川紀元(1892-1972)は、上伊那郡朝日村(現在の辰野町)に生まれた。旧制諏訪中学(現在の諏訪清陵高校)卒業後は東京美術学校彫刻科に進学したが、半年で中退。のちに太平洋画会研究所、本郷洋画研究所 ...
-
-
素朴な画風で「日本のルソー」と呼ばれた横井弘三
2022/1/26
下伊那郡飯田町(現在の飯田市)に生まれた横井弘三(1889-1965)は、3歳頃に家族で上京し、東京下町で育った。私立大成中学校在学中から東京美術学校への進学を希望していたが、父の強硬な反対にあい断念 ...
-
-
アナキストを描いた肖像画が会場撤去となった林倭衛
2022/1/24
林倭衛(1895-1945)は、小県郡上田町(現在の上田市)に生まれた。幼少期に家の没落と一家離散を経験。15歳で両親の後を追って上京し、印刷会社で働きながら日本水彩画会研究所夜間部に通い、画家として ...
-
-
大正リアリズムの鬼才・河野通勢
2024/12/11
河野通勢(1895-1950)は、群馬県伊勢崎市に生まれ、長野市で育った。高橋由一の門に学び図画教師をしていた父・河野次郎の影響で、子どものころから絵を描くのを得意としていた。大正3年に長野中学校を卒 ...
-
-
日本水彩画会の創立に発起人として加わった小山周次
2022/1/18
日本水彩画会は、明治44年に没した大下藤次郎の「太平洋画会から独立した水彩画だけの展覧会を開催したい」という遺志を実現するかたちで、大正2年に創立された。同年開催された第1回総会で、石井柏亭、白滝幾之 ...
-
-
日本近代美術の発展に関与し続けた石井柏亭
2024/12/11
石井柏亭(1882-1958)は、明治期に日本初の洋画団体・明治美術会やその後継団体である太平洋画会に出品し、大正期には日本水彩画会や二科会の創立に参加、昭和期には一水会を組織するなど、日本近代美術の ...
-
-
パリからの帰国後、漆工芸に新境地を拓いた小澤秋成
2022/1/11
上伊那郡南箕輪村に生まれた小澤秋成(1886-1954)は、松本中学校を経て、東京美術学校日本画科に進み、明治44年同校図画師範科を卒業した。同年の卒業生に諏訪出身の矢沢弦月がいる。卒業後は、野沢中学 ...
-
-
夭折の詩人画家・村山槐多
2024/12/14
神奈川県横浜市に生まれた村山槐多(1896-1919)は、教師だった父親の赴任に伴って小、中学時代を京都で送った。京都府立第一中学校(現在の洛北高校)在学中から絵画、文学に傾注し、級友らと「強盗」「銅 ...
-
-
精巧な素描を残して23歳で夭折した倉田弟次郎
2021/12/24
倉田弟次郎(1870-1894)は、旧佐倉藩士で漢学者の倉田幽谷の第二子として埼玉県浦和に生まれた。本来立見姓だったが、父の幽谷が立見一族のなかの倉田の家を再興して姓を改めた。弟の倉田白羊は、弟次郎が ...
-
-
山本鼎に共鳴して信州上田に移り住んだ倉田白羊
2021/12/20
倉田白羊(1881-1938)は、旧佐倉藩士で漢学者の倉田幽谷の第三子として埼玉県浦和に生まれた。23歳で早世した兄・弟次郎の遺志をついで画家を志し、遠縁にあたる浅井忠に師事し、浅井が東京美術学校教授 ...
-
-
農民美術運動や児童自由画教育運動、創作版画の普及など多くの功績を残した山本鼎
2024/12/14
山本鼎(1882-1946)は、版画家としては自画・自刻・自摺による「創作版画」を提唱して「日本創作版画協会」を創立、洋画家としては小杉未醒(放庵)、中川一政らと「春陽会」を創立するなど、幅広い制作活 ...
-
-
雑誌「明星」の表紙画で絶大な人気を博した一條成美
2024/12/7
一條成美(1877-1910)は、東筑摩郡神林村(現在の松本市神林)に生まれた。生家は資産家だったが、父の放蕩のために財産を失い、幼少の頃に北信濃の篠井に移住した。その後、松本中学に入学するが、1、2 ...
-
-
黒澤映画の衣裳考証でも名を高めた歴史画家・江崎孝坪
2021/12/13
江崎孝坪(1904-1963)は、上伊那郡高遠町(現在の伊那市高遠)に生まれた。小学生のころから絵を描くことが好きで、14歳の頃に小学校を中退して上京、日本橋にある呉服の小物問屋・細田につとめ、風呂敷 ...
-
-
台湾の美術振興につとめた郷原古統と木下静涯
2021/12/11
日本統治時代(1895~1945)の台湾には、教育者として渡った信州人も多く、昭和2年(1927)に創設された台湾美術展では池上秀畝や矢沢弦月らが審査員をつとめるなど、芸術家も多く台湾を訪れている。そ ...
-
-
洋画の手法を取り入れて和洋の調和を図った矢沢弦月
2021/12/11
矢沢弦月(1886-1952)は、諏訪郡上諏訪村(現在の諏訪市)に生まれた。父は早くから諏訪で印刷業をはじめていたという。幼いころから利発で、尋常小学校を卒業後は、母校の代用教員をつとめていたが、14 ...