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江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
2021/7/5
群馬県勢多郡大胡村(現在の前橋市堀越町)に生まれた横堀角次郎(1897-1978)は、大胡尋常高等小学校を卒業し、旧制前橋中学校(現在の県立前橋高校)に入学した。同中学校の一級上には日本画家の礒部草丘 ...
2024/12/14
明治元年、碓井郡安中町(現在の安中市)に生まれた湯浅一郎(1868-1931)は、父と親交のあった新島襄の同志社英学校普通科に学び、明治21年卒業した。卒業後は、画家を志し、その前年10年間のフランス ...
2021/7/5
高崎に生まれた北村明道(1896-1962)は、はじめ小堀鞆音に師事して歴史画を学び、のちに蔦谷龍岬の画塾に入り、龍岬没後は児玉希望に師事した。昭和2年の第8回帝展で初入選し、以後帝展、新文展、戦後は ...
2021/7/5
礒部草丘(1897-1967)は、明治30年、群馬県佐波郡宮郷村宮古(現在の伊勢崎市宮古町)に生まれた。明治43年、宮郷小学校を卒業して前橋中学校(現在の前橋高校)に入学。同期には、彫金家の森村酉三、 ...
2021/7/5
日本南画院の創立に参加するなど南画の普及につとめた小室翠雲は、明治36年、自宅に私塾「環堵画塾」を開設し、門人を集めて南画の技法を教えた。同塾解散後の昭和15年には、新旧門下生を招集して「画は心に印し ...
2021/7/5
南画家・岸浪柳渓の二男として館林に生まれた岸浪百艸居(1889-1952)は、3歳の時に両親の離婚により父柳渓とともに金沢に移り住んだ。金沢では伯母夫妻に預けられていたが、7歳の時に伯父が没したため父 ...
2021/7/5
岸浪柳渓(1855-1935)は、仙台藩士の医師・岩浪広盟(謙輔)の三男として、江戸下谷に生まれた。幼いころ、風疹と麻疹のため聴力を失った。10歳の時から5年間を仙台で過ごし、藩の儒者・大槻磐渓につい ...
2021/7/5
小室翠雲(1874-1945)は、館林町(現在の群馬県館林市)の呉服商の家に生まれた。館林藩御用達商人をつとめていた小室家から分家した父・牧三郎は、風流を好み、文人墨客との交友が多く、足利の田崎草雲に ...
2021/7/5
江戸神田に生まれた大出東皐(1841-1905)は、3歳の時に父に従って桐生に移り住んだ。8歳のころから三輪神社小島宮司のもとに通って書法を習い、天満宮神官・前原互瀬について南画の初歩を学んだ。さらに ...
2021/7/24
新井洞巌(1866-1948)は、群馬県吾妻郡原町(現在の吾妻町)の刀研ぎの家に生まれた。はじめ長井雲坪、四谷延陵に学び、19歳の時に伊香保温泉に逗留中の菅原白龍を訪ねて入門を直訴、許可を得て上京し本 ...
2021/7/5
青柳琴僊(1867-1962)は、月夜野(現在の群馬県利根郡みなかみ町)の農家の長男として生まれた。6歳頃から父について読書、算術を学び、10歳頃から絵を描きはじめ、13歳で林青山の門に入り「燕山」と ...
2021/7/5
群馬県利根郡桃野村上津(現在のみなかみ町上津)に生まれた林青山(1847-1933)は、6歳で藤岡の法橋重信の門に入り、絵の勉強をはじめ、13歳の時に湯の原村(現在の新治村)の林豊山に師事し、また華道 ...
2021/7/5
青木翠山(1842-1896)は、沼田藩士の長男として、利根郡沼田(現在の群馬県沼田市西原新町)に生まれた。幼いころから平等寺の住職・井上無蓋に絵を学び、紙凧や羽子板に絵を描いて家計を助けたという。そ ...
2021/7/5
武居梅坡(1831-1905)は、高崎新田町に生まれた。幼いころから画を好み、6歳のころには草双紙などの挿絵を模写することを娯しみとしていたという。12歳の時に高崎藩士で南蘋派の矢島乾庵に学び、18歳 ...
2021/7/5
松本宏洞(1827-1911)は、佐波郡大正寺村(現在の伊勢崎市大正寺町)の名族の家に生まれた。7歳から書をはじめ、10歳で儒教の経典である五経を素読したといわれる。21歳の時に江戸に出て、中澤雪城に ...
2021/7/5
高崎藩士・矢島兵左衛門定喜の子として江戸藩邸に生まれた矢島群芳(1798-1869)は、幼いころから画を好み、はじめ大西圭斎に入門、のちに椿椿山に師事した。花鳥図を好み、特に鶴の描写を得意とした。 父 ...