
西川祐尹「男舞図」東京国立博物館蔵
京都の浮世絵界を牽引した西川祐信が形成した西川派の絵師としては、祐信の長男・西川祐尹(不明-1759)が、父の跡を継いで版本の挿絵や肉筆美人画を描いた。また、三男・祐肖も絵師として活動したが、33歳で没した。祐信の門人としては、和歌もよくした梨木祐為(1740-1801)をはじめ、西川祐代、川島重信、井上景堪、寺井重房、高木貞武、下河辺拾水、西川祐春らがいたが、名手・祐信を継ぐほどの人物は出ておらず、西川派は祐信一代で終わったとされる。
西川祐尹(不明-1759)にしかわ・すけただ
京都の人。西川祐信の長男。幼名は大助、または伊織、通称は西川主税。得祐斎、文生堂と号した。宝暦8年死去した。

梨木祐為「美人立姿図」(部分)
梨木祐為(1740-1801)なしのき・すけため
元文5年生まれ。鴨祐為とも称した。京都下賀茂社の神官で、正四位下に叙され上総介に任じられた。和歌をよくし、冷泉為村の門人で、生涯に詠むところ10万首といわれ、歌集も多い。画もよくし、西川祐信の門に入って学び、美人画を描いた。享和元年、62歳で死去した。
京都(128)-画人伝・INDEX
文献:肉筆浮世絵第9巻、日本画家人名事典







