画人伝・京都 狩野派 花鳥画

日本初の美術史論『本朝画史』を完成させた狩野永納

狩野永納「春夏花鳥図屏風」(左隻部分)サントリー美術館蔵

狩野永納「春夏花鳥図屏風」(左隻部分)サントリー美術館蔵

狩野永納(1631-1697)は、狩野山雪の長子で、21歳の時に父・山雪が没し、京狩野を相続した。本家江戸狩野に対する痛切な対抗意識も引き継ぎ、逆にそのために父・山雪の怪奇様式を発展させることには慎重となり、むしろ祖父・山楽の温雅な作風に寄り添うようにつとめた。江戸狩野が得意とする瀟洒な余白の使い方にも取り組み、やまと絵の風情を摂取することにも積極的に向き合い、京狩野の流派的確立を目指した。

また、日本初の本格的な美術史論『本朝画史』の編者としても知られる。同書は、元禄4年に『本朝画伝』の題で刊行され、元禄6年に『本朝画史』と改題し再刊されたもので、古代から江戸初期にいたる日本の画家400名以上の伝記をはじめ、狩野家画法、画論、印譜などが収録されている。父・山雪の草稿を編集・増補したもので、100名余りだった草稿の収録画家に、増補によって300余名を加え、慶安4年の山雪没後、40年かけて完成させた。

近年の研究で、この増補の重要な情報源が、徳川光圀が企画開始した『大日本史』の編纂事業だったことがわかっている。永納は同史編纂のための関西エリアの古文書・古物調査に際して作図などで協力し、他の調査員らとの交流のなかで豊かな情報を得て『本朝画史』の編集・著述にいかしたと思われる。

狩野永納(1631-1697)かのう・えいのう
寛永8年京都生まれ。狩野山雪の長男。京狩野3代目。名は吉信、字は伯受、通称は縫殿助。別号に山静、居翁、梅岳堂、一陽斎、素絢斎などがある。父・山楽に画を学び、山水、花鳥を得意とした。『本朝画史』を刊行した。元禄10年、67歳で死去した。

京都(64)-画人伝・INDEX

文献:狩野永徳と京狩野、狩野派決定版、近世やまと絵50選

 




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