画人伝・京都 狩野派 風俗図・日常風景

狩野派で最も早く徳川家の御用絵師となった狩野長信

狩野長信「花下遊楽図屏風」(左隻部分)国宝 東京国立博物館蔵

狩野長信「花下遊楽図屏風」(左隻部分)国宝 東京国立博物館蔵

狩野長信(1577-1654)は、狩野松栄が59歳の時の子で、狩野永徳の末弟にあたる。永徳とは34歳離れており、永徳の子の光信孝信よりも年少で、2人の没後も長寿を保ち、狩野派の中心画家として活躍した。

代表作の「花下遊楽図屏風」(掲載作品)は、人物表現も緊密な構成も完成度が高く、狩野派の風俗画のうちで最もすぐれていると評され、風俗画史上に重要な役割を果たした作例とされる。しかし、長寿のわりに遺作は乏しく、ほかに絵巻や仏画、三十六歌仙図扁額など5点ほどが確認されているのみである。

また、狩野派絵師として最も早く徳川家の御用絵師となったことでも重要な役割を果たした。慶長年間、家康の存命中に京都から駿府に召し出され、秀忠の江戸入国に際してはそれに随伴して法橋に叙された。のちに探幽、尚信、安信、昌安らが続々と江戸に入り徳川幕府の御用絵師に取り立てられていったのも、その先駆者ともいうべき長信の功績によるところが大きい。

狩野長信(1577-1654)かのう・ながのぶ
天正5年生まれ。狩野松栄の末子で四男と思われる。狩野永徳の弟。父松栄とは16歳の時に死別した。幼名は源七郎、のちに弥左衛門。画は兄永徳に学び、はやくから徳川幕府に出入りし、慶長年間に江戸に移住し、狩野家と江戸幕府の結びつきをつくったとされる。寛永2年法橋に叙された。承応3年、78歳で死去した。

京都(59)-画人伝・INDEX

文献:日本絵画名作101選、狩野永徳と京狩野、狩野派決定版、日本の美術17 桃山の風俗画、日本美術全集12




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