画人伝・岡山 南画・文人画家 山水・真景

美作の南画家、広瀬臺山・飯塚竹斎と門人

広瀬臺山「蓬莱山図」

美作の南画家としては、広瀬臺山(1751-1813)が代表的存在である。臺山は、津山藩士の子として同藩大坂屋敷に生まれ、16歳から福原五岳に師事して南画の道に入った。29歳で家督を相続したあとは、京都を経て江戸定府となり、御留守居役や藩主への御手跡指南など君側の重臣として勤めるかたわら、谷文晁、片桐蘭石、増山雪斎ら文人墨客との交流を深めていった。53歳で隠居し、文人生活を満喫していたが、60歳で津山に帰り、故郷に江戸南画を伝えて63歳で病没した。臺山の門下には、同じ津山藩の飯塚竹斎(1796-1861)がいる。竹斎が臺山に直接学んだのは江戸在住時代の青年期だったと思われ、24歳で津山に戻ってからは同地に伝わる臺山画を模写するなどして修業に励んだ。竹斎に続く世代としては井上雲樵(1822-1880)と(1835-1879)がいる。また、津山藩に仕えた儒者・関口雪翁(1753-1834)も南画をよくした。

広瀬臺山(1751-1813)
宝暦元年生まれ。姓は源、諱は清風、字は穆甫、通称ははじめ周蔵でのちに雲太夫。書画斎を白雲窩と称した。作州津山藩士・広瀬義平として津山藩大坂屋敷に生まれた。大坂在住の青年期に、池大雅門下の福原五岳に画法を学んだ。天明元年に江戸定府を命じられ、以後文化8年まで江戸生活が続く。50歳ころから谷文晁、僧雲室、片桐蘭石、増山雪斎、大窪詩仏ら江戸文人と交流を深めた。53歳で隠居し、還暦を迎え故郷に帰ったが、病を得て、文化10年、63歳で死去した。

飯塚竹斎(1796-1861)
寛政8年江戸津山藩下屋敷内の士邸に生まれた。主に江戸詰めの古参、同藩藩士広瀬半助の三男。はじえ漢之丞と名乗ったが、のちに飯塚家に養子に入り、七五三、与作とも称した。名は☆(☆は「者」の下に「羽」)、字君鳳。別号に九如、飛筆将軍、少陽、季秋などがある。文化4年、12歳の時に江戸から津山に帰った。幼い頃から画才を見せ、同藩藩士・小島石梁に手ほどきを受け、16歳の時に広瀬臺山に師事、臺山の紹介で江戸で谷文晁にも師事した。津山を代表する画人で、後進に大きな影響を与えた。文久元年、65歳で死去した。

井上雲樵(1822-1880)
文政5年津山生まれ。幼名は梅吉、のちに大二郎と改めた。諱は履、字は子坦。別号に李淵、看雲がある。宮田喜平治に筆学を学び、斉藤又左衛門に漢字を習った。学問に精を出す一方で画才にも恵まれ、18歳頃に江戸に出て画の師についたとされる。その後長崎で日高鉄翁に師事。のちに豊後日田で広瀬淡窓に、大坂で広瀬旭荘と鼎金城に、津山に戻り大村桐陽に師事した。津山に戻ってからは天保時代からの歴史ある津山藩教諭所の教師となり、明治4年の同校の廃校まで庶民教育に努めるなど、師弟教育にあたった。明治13年、59歳で死去した。

塘雲田(1835-1879)
天保6年生まれ。津山藩城下町魚町の商家嵯峨屋(佐賀屋)の三男。名は芳、字は士蘭、通称は芳蔵で芳造ともいった。別号に香祖亭、与時息斎などがある。幼いころに飯塚竹斎に師事したとされ、のちに下田桂屋に師事した。津山院庄作楽神社創建運動に関与。児島高徳公顕彰運動に参画した。明治12年、45歳で死去した。

関口雪翁(1753-1834)
宝暦3年越後十日町生まれ。名は世植、字は子卿。通称は莞二、恒之進、のちに多仲と改めた。別号に米山、清斎、玄窓などがある。20歳前後で江戸に出て、文化4年に津山藩松平家に儒者として召し抱えられた。江戸では多くの文人と交流し、墨竹を得意とした。天保5年、82歳で死去した。

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文献:美作の美術展岡山の絵画500年-雪舟から国吉まで-作州画人伝




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