「彦根屏風」は、代々彦根藩主だった井伊家に伝来したことからこの名がある。江戸時代の寛永年間(1624-1644)の制作と考えられており、注文主は明らかになっていないが、江戸時代後期に井伊家が入手したことが確認されている。現在は彦根市の所有で、国宝に指定されている。
「彦根屏風」が描かれたとされる室町時代の終わりから江戸時代の前期にかけては、風俗画が大流行しており、それらの作品群は「近世初期風俗画」と総称されている。花見図、遊楽図、桜下遊楽図、四条河原図など日常生活のさまざまな場面が描かれ、次第に遊里や芝居など浮世の風俗も描かれるようになった。
「彦根屏風」はその代表的な作品とされ、当時の京の遊里・六条柳町(通称は三筋町)で遊ぶ男女の様子を描いたものだと推定されている。三味線を弾く太夫らや恋文を読む女性、双六に興じる男女らが描かれ、南蛮貿易でもたらされた煙草や洋犬なども盛り込まれ、衣装、器物などが緻密な筆致で表現され、当時の風俗をよく伝えている。
作者は不明で、江戸時代から明治初期にかけては岩佐又兵衛の筆のよるものと考えられていたが、その後、狩野山楽や狩野興以ら狩野派の専門絵師によるものと推測されるようになり、近年では狩野長信という見解や、狩野派の主流からはずれた老練な絵師によるものだという意見も出ているが、決定的な根拠となる史料は出ていない。
滋賀(03)-画人伝・INDEX
文献:よみがえった国宝 彦根屏風