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UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

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狩野派唯一の「村狩野」・今村道之進

2021/7/9  

文化文政の頃、東予一帯で活躍した狩野派の画人に今村道之進(1761-1830)がいる。道之進は、宝暦11年宇摩郡中曽根村に生まれ、21歳の時に京都に出て、狩野探幽の流れを汲む京都鶴沢派に学び、27歳で ...

西条藩絵師・小林西台と各藩の狩野派

2022/9/5  

木挽町狩野の流れは伊予の地に急速に広がり、大洲藩にやや遅れて西条藩からは小林西台(1794-1854)が出た。西台は、大洲藩の若宮養徳(1754頃-1834)と同じ木挽町狩野の門に学んだ。40歳ほど年 ...

大洲藩御用絵師・若宮養徳とその門人

2022/9/5  

加藤泰恒・文麗親子から引き継がれた木挽町狩野の流れは、木挽町狩野七代・狩野養川院惟信に学んだ大洲藩絵師・若宮養徳と、その門人たちによって、伊予大洲の地に伝えられた。かれらの絵画は大洲藩主ゆかりの如法寺 ...

江戸木挽町狩野と伊予大洲藩の文人大名

2022/9/5  

江戸時代も中頃を過ぎると、伊予の各藩では常任の絵師をおくことが一般化し、藩主自らが絵筆を握る文人大名も現れるようになった。大洲藩三代藩主・加藤泰恒は、江戸木挽町狩野二代・狩野養朴常信の門に入り、「泰常 ...

江戸浜町狩野と松山藩御用絵師

2022/9/5  

二代で終わった松本山雪・山月の後を受けて松山藩の御用絵師となったのは、豊田随園、武井周発、豊田随可の三代、三人である。かれらは江戸の浜町狩野家初代・狩野随川岑信、そして二代・随川甫信に学んだ江戸狩野派 ...

伊予松山藩御用絵師・松本山雪

2022/9/5  

桃山時代から江戸初期にかけて各地で築城が盛んになり、城内を勇壮に飾り立てる画才を持った絵師の存在が重要になった。伊予の地にはまだそのような絵師が育っておらず、武将たちは京や伏見・大坂の城にかかわった絵 ...

描かれた坂本龍馬、膨大な数の龍馬像を残した公文菊僊

2021/7/9  

坂本龍馬のブームはたびたび起こっているが、最初の大きなブームは、自由民権運動期の明治16年、坂崎紫瀾が坂本龍馬を主人公にした小説「汗血千里駒」を土陽新聞に連載したことにはじまる。第2次ブームは、明治3 ...

土佐美術協会、土陽美術会の発足

2024/12/21  

西欧絵画が広まるなか、明治初期の高知の日本画は、徳弘董斎、河田小龍、種田豊水、名草逸峰らがそれぞれ後進の指導にあたっていた。そしてその流れが、土佐美術協会、土陽美術会の活動へと受け継がれていく。明治2 ...

洋画の黎明期、国沢新九郎の出現

2024/12/11  

幕末から明治期にかけては全国的に西欧絵画が広がっていき、高知においては、国沢新九郎(1848-1877)が西欧絵画の先駆者として登場する。国沢は、高知城下の藩士の長男として生まれ、明治2年に坂本龍馬の ...

画人としても早逝を惜しまれた武市瑞山と勤王の志士

2021/7/9  

幕末から明治維新期には新しい日本を目指した勤王の志士たちが多く登場した。彼らは学術、武術を学ぶとともに多くの書画を残している。土佐勤王党の盟主だった武市瑞山(1829-1865)は、徳弘董斎に南画を学 ...

幕末から明治前期にかけての土佐を代表する画人・河田小龍と門人

2024/12/14  

河田小龍(1824-1898)は、様々な絵画様式や技法を会得して南北合流の画人と呼ばれた。知識人としても広く活躍し、アメリカから帰国したジョン万次郎の取り調べに立ち会い、万次郎の異国での体験を『漂巽紀 ...

土佐に来て影響を与えた画人、種田豊水と名草逸峰

2021/7/9  

土佐の人ではないが、幕末から明治にかけて土佐に来て影響を与えた画人に、種田豊水と名草逸峰がいる。種田豊水は長門国(現在の山口県)に生まれ、小田海僊に学び旅絵師となり、蒔絵を土佐に伝えた。華やかな花鳥画 ...

土佐の印聖・壬生水石と高松小埜

2021/7/9  

壬生水石(1790-1871)は、寛政2年城下唐人町に生まれ、大坂や江戸で兵学、儒学などを学び、天保3年には与力職になった。篆刻を本格的に学び全国にその名が知られ、「土佐の印聖」と称された。また、書画 ...

竹原没後の土佐画壇を支えた橋本小霞と門人

2021/7/9  

橋本小霞(1813-1879)は土佐藩徒士の家に生まれ、父の跡を継いで徒士となり、藩主の参勤に従ってたびたび江戸に上がった。江戸では徳弘董斎と同じく春木南湖に学び、蘭竹画を得意とした。楠瀬大枝のもとで ...

龍馬に砲術を教えた南画家・徳弘董斎と門人

2021/7/9  

徳弘董斎(1807-1881)は、御持筒で南画をよくした徳弘石門(1777-1825)の長男として生まれ、土佐藩に西洋流砲術をもたらした。龍馬や龍馬の兄・権平ら多くの門人に砲術を教えている。父の影響で ...

土佐南画三名家のひとり・古屋竹原と門人

2021/7/9  

楠瀬大枝門下で、徳弘董斎、橋本小霞とともに南画の三名家と謳われた古屋竹原は、文政から天保にかけて土佐の南画家の中心的存在だった。当時の須崎では、南画をもって聞こえた医者の古屋竹原に、書家の下元西洲と僧 ...

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昭和59年(1984)、田中一村(1908-1977)が奄美大島で没して7年後、NHK教育テレビ「日曜美術館」で「黒潮の画譜~異端の画家・田中一村~」と題して一村の画業が紹介され、大きな反響を呼んだ。 ...

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横山大観(1868-1958)は、明治元年水戸藩士の子として現在の茨城県水戸市に生まれた。10歳の時に一家で上京し、湯島小学校に転入、つづいて東京府小学校に通った。同校卒業後は私立の東京英語学校に進学 ...

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岡山の画家として最初に名前が出るのは、室町水墨画壇の最高峰に位置する雪舟等楊(1420-1506)である。狩野永納によって編纂された『本朝画史』によると、雪舟の生誕地は備中赤浜(現在の総社市赤浜)で、 ...

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