画人伝・大阪 南画・文人画家 山水・真景

田能村竹田に出会い南画に専心した忍頂寺静村

忍頂寺静村「山居渓閣図」

忍頂寺静村「山居渓閣図」

忍頂寺静村(1804-1877)は、淡路に生まれた。幼いころから画を好み、大坂に出てはじめ上田公長に入門し写生画を学んだ。その後田能村竹田に出会い南画に専心するようになった。また、貫名海屋のもとで書を学んだ。山水、人物、花鳥のいずれも描いたが、唐絵を基本とした山水画に優品が多い。また、墨痕鮮やかな賛にも独特な筆意が感じられる。堂島中町に住み、作画依頼も多く盛業だったという。

他に田能村竹田に学んだ大坂ゆかりの画人としては、田中介眉(1814-不明)も竹田に学んだとされ、山水、花鳥を描き、明清絵画を収集するなど研究にも余念がなかったという。藤井藍田(1816-1865)は、画を竹田や中井藍江に学び、壮年になって西国を遊歴し多くの勤王の志士と交流を持ったことから新選組に捕えられ獄死した。河辺芦汀(1817-不明)も竹田に画を学び、山水花卉を描いた。

忍頂寺静村(1804-1877)にんちょうじ・せいそん
文化元年淡路生まれ。名は温、字は知新、寿甫。通称は寿一。別号に梅谷がある。はじめ大坂で上田公長に学び、その後田能村竹田に師事し、書を貫名海屋に学んだ。明治10年、74歳で死去した。

田中介眉(1814-不明)たなか・かいび
文化11年生まれ。大坂の人。名は節、字は樹徳、通称は義兵衛。別号に海湄がある。醸造業を営むかたわら風雅を好み、田能村竹田に師事したと思われる。山水、花鳥を描き、また明清絵画を収集するなど研究した。

藤井藍田(1816-1865)ふじい・らんでん
勤王志士と交流し新選組に捕えられ獄死した藤井藍田
阿波の儒者・赤松藍州と藤井藍田

河辺芦汀(1817-不明)かわべ・ろてい
文化14年生まれ。大坂の人。名は徴、字は士清。田能村竹田に画を学び、山水花卉を描いた。平生煎茶を嗜み、また禅学を志して諸師に賛学しその玄理を極めたという。北久宝寺町に住んでいた。43歳までの在世は確認できるが没年は不明。

大阪(77)-画人伝・INDEX

文献:近世淡路の書画、へそまがり日本美術、近世大阪画壇、サロン!雅と俗:京の大家と知られざる大坂画壇、近世の大阪画人




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