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江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま東北地方を探索中。

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南部八戸で晩年を過ごした盛岡藩を代表する南画家・橋本雪蕉

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橋本雪蕉「竹林閑居」八戸市博物館蔵

岩手県花巻の呉服商の家に生まれた橋本雪蕉(1802-1877)は、少年時代に花巻の寺小屋師匠で絵師だった八重樫豊澤に画法を学んだ。師の豊澤は、文人墨客との交わりが広く、谷文晁をはじめ多くの画人たちと交流していた。その豊澤が諸国歴遊の旅に出たころ、雪蕉も花巻を離れ八戸を訪れている。雪蕉が20歳頃のことだった。

八戸では臨済宗大慈寺に滞在し「幽霊図」を描き、この絵が縁となって、回送問屋河内屋三代・橋本八右衛門昭方に見出され、文政6年に義弟となり橋本姓を名乗るようになった。雪蕉が22歳の頃だった。翌年には同家の支援を受け、江戸に出て谷文晁に入門したが、文晁の画風や人柄が馴染めず、江戸を去り京都の浦上春琴について本格的に絵を学んだ。

天保3年、京都からの帰途に鎌倉の建長寺に立ち寄り、禅の修行をするかたわら、同寺に残る雪舟などの名画を模写し研鑽につとめ、滞在は14年にも及んだ。弘化2年からは江戸に居を構え、嘉永2年頃から「雪蕉」を名乗るようになった。号の由来は、後世の画壇に大きな影響を与えた雪舟と、俳人・松尾芭蕉の精神や人生にあやかりたいとの思いから、名付けられたと伝わっている。

明治3年からは、戊辰戦争で混乱する江戸を離れ、八戸に住んだ。この間、藩の御用絵師として出仕することはなく、一介の町絵師として注文を受けながら絵を制作していた。収入は少なく生活は困窮していたが、河内屋などから支援を受け、禅僧のような清貧な暮らしのなか、「四季山水図」や「名花十二客之図屏風」などの代表作を完成させている。

橋本雪蕉(1802-1877)はしもと・せっしょう
享和2年岩手県花巻村生まれ。名は素淳、字は孟素。呉服商・釜津田藤右衛門の四男。文化11年花巻の絵師・八重樫豊澤に師事。文政6年河内屋三代・橋本八右衛門昭方の義弟になる。文政7年江戸の谷文晁に師事、ついで京都の浦上春琴に師事。天保3年からは鎌倉建長寺に14年間滞在した。弘化2年に江戸に移り画楼をつくった。明治3年から八戸に滞在した。門人に菊池黙堂がいる。明治10年、76歳で死去した。

文献:野澤如洋と橋本雪蕉展、青森県史叢書・近現代の美術家、青森県南部書画人名典、青森県近代日本画のあゆみ展、東北画人伝

東アジアのなかの建長寺 宗教・政治・文化が交叉する禅の聖地
勉誠出版







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