画人伝・大阪 円山四条派

写生を本領とし『公長画譜』を出版した上田公長

上田公長『公長画譜』の一部

上田公長『公長画譜』の一部

上田公長(1788-1850)は、大坂船場の木綿問屋6代目・阿波屋忠次郎の長男として生まれ、天保頃は南久太郎町に住み、嘉永頃は道修町で暮らした。『上田公長正伝』によると、中井藍江に師事して四条派の写生画を学んだとあるが、『浪華名家墓所集』他の文献では呉春に入門し、実質的には松村景文の教えを受けたとある。また、長山孔寅松本観山、中川山長に学んだとする文献もある。

山水、花鳥、人物など幅広く描き、和漢の古書画を研究して鑑定にも明るく、書画ともに与謝蕪村の強い影響を受けている。幕末の大坂画壇で四条派の流れを汲む奇才として活躍し、画を請うものも多くて多忙で、門人も多数いたため、『公長画譜』を出版し、手本として門弟に与えたという。

上田公長(1788-1850)うえだ・こうちょう
天明8年生まれ。大坂の人。生家は船場の木綿問屋。名は公長、字は有秋、通称は順蔵。号は雍洲、水雲閑人。呉春に入門し、中井藍江にも学んだとされる。花鳥山水を得意とし和漢の古画にも通じた。紀州徳川家11代藩主・徳川斉順に召されて御用絵師となり、上田の姓と陰葵の家紋を拝領した。また、12代将軍・徳川家慶に召されて江戸城で御前揮毫も行なった。著書に『公長画譜』『紀伊国名所図会』がある。嘉永3年、63歳で死去した。

大阪(16)-画人伝・INDEX

文献:絵草紙に見る近世大坂の画家、近世大阪画壇、浪華人物誌2、大阪人物誌巻4、サロン!雅と俗:京の大家と知られざる大坂画壇、大阪名家著述目録、近世の大坂画壇、近世の大阪画人、大坂画壇の絵画




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