変わり者として知られた四屋延陵は、延岡藩の名門に生まれ、江戸で画を学び、その後は国内外を転々とした。彫刻にも巧みで、他人の家を訪れるとすぐにその家の盆に彫刻をする癖があったという。また、画に興じれば道路の真ん中に荷物を打ち捨てたまま、一心に絵筆を走らせ、通行人を戸惑わせた。漢学の造詣が深く、画論においては富岡鉄斎を凌ぐほどだったという。
四屋延陵(1841-1919)
天保12年延岡恒富生まれ。父は儒学者。名は収蔵。別号に半仙がある。江戸に出て福田半香に学んだとされる。その後は埼玉、群馬、新潟、朝鮮、支那など、国内外を転々とした。内国絵画共進会の第1回展と第2回展に出品している。晩年は延岡で過ごした。大正8年、78歳で死去した。
宮崎(13)-画人伝・INDEX
文献:延岡先賢遺作集、宮崎県地方史研究紀要第12号「宮崎の近代美術」、郷土の絵師と日本画家展