仙台藩では、五代藩主・伊達吉村の時代から江戸の奥絵師・木挽町狩野家との連携を強め、藩御用絵師は代々同家に入門するしきたりとなっていた。江戸の藩御用絵師たちは、幕府とかかわりのある仕事や藩の大規模な仕事につき、国元御用絵師(手前絵師)と共にする仕事では、つねに指導的な立場で、藩御用絵師の養成も担っていた。
国元仙台では、藩御用絵師を代々つとめていた佐久間家の四代目・洞巌が追放処分を受け、その後も家督没収の処分などがあり、御用絵師の継承が途絶えたため、それを補うためか、松原家、深谷家、菊田家、荒川家を御用絵師として抱えることになっていた。
松原家は江戸において奥絵師と手前絵師の中間的な存在として活動していたようで、深谷家とともに一時的な雇用関係にとどまったとみられている。松原家初代・探梁は狩野探幽の高弟だったと伝わっており、その子・探水は、五代藩主・伊達吉村の周辺で活躍した江戸の狩野派絵師と伝わっている。
松原探梁(不明-不明)まつばら・たんりょう
松原家初代。名は守真、または守親。画を狩野探幽に学び、探幽門下の高弟だったと伝わっている。法橋に叙せられている。仙台藩三代藩主・綱宗に仕えた。
松原探水(不明-不明)まつばら・たんすい
松原家二代。松原探梁の子。
松原幽知(不明-不明)まつばら・ゆうち
名は守行。狩野探幽の門人。松原探梁の子とみられている。
松原栄元(1710-不明)まつばら・えいげん
松原家三代。宝永7年生まれ。松原探水の子。
宮城(3)-画人伝・INDEX
文献:仙台画人伝、続・仙台画人伝、仙台市史通史編4(近世2)、仙台市博物館館蔵名品図録、福島美術館優品図録