
狩野永敬「梅樹鶏図」(部分)京都・実相院
狩野永敬(1662-1702)は、京狩野3代目の狩野永納の実子で、25歳の時に4代目を継いだ。初代・山楽、2代・山雪の代から京狩野の支持者だった九条家、同家と姻戚関係にあった二条家など有力公家の庇護を受けながら制作活動を続け、伝統的なやまと絵にも通じ、公家好みの繊細で洗練された作品を描いた。
その一方で、狩野派本来の漢画作品においては、山楽や山雪の画風への回帰をはかり、独特な個性を発揮した。41歳で没したため遺作は少ないが、「梅樹鶏図」(掲載作品)に描かれた巨樹は、山楽を飛び越えて、永徳の怪奇様式を想起させるものがある。その奇矯な画風が、門人の高田敬輔へとつながり、さらに尊輔から曾我蕭白へと受け継がれることになる。
狩野永敬(1662-1702)かのう・えいけい
→近江日野の信楽院に多くの作品を残した高田敬輔
京都(65)-画人伝・INDEX
文献:狩野永徳と京狩野、狩野派決定版、もっと知りたいやまと絵、近世やまと絵50選







