
古谷紅麟「草花模様」のうち2図
古谷紅麟(1875-1910)は、滋賀県高島郡海津町(現在の滋賀県高島市マキノ町海津)に生まれた。京都に出て漢学や国文学を学んだあと、四条派の鈴木万年に師事し、その後、生涯の師となる神坂雪佳に師事し図案を学んだ。師の影響を受けて琳派に傾倒し、尾形光琳に因んで雅号を「紅麟」にしたという。
22歳の時に新古美術品展で入賞し、その後も懸賞図案会などで受賞を重ね、図案家として活動をはじめた。主に新古美術品展に出品し、のちに審査委員もつとめた。
一方で、京都市立美術工芸学校で教鞭をとり、後進の指導にもあたった。また、幅広い知識を得るために同校で同僚だった松室重光に建築学と室内装飾法を学び、さらに京都に滞在していた洋画家の浅井忠に木炭画を学んだ。
こうして、絵画、図案、建築に関わる技法や知識を吸収しながら、展覧会出品も行ない、さらに多数の図案集を発行するなど精力的に活動し、雪佳の正統な後継者として将来を嘱望されていたが、突然の病に倒れ、36歳で急逝した。
古谷紅麟(1875-1910)ふるや・こうりん
明治8年滋賀県高島郡海津町(現在の滋賀県高島市マキノ町海津)生まれ。本名は藤太郎。京都に出て鈴木万年に学び、明治25年からは神坂雪佳に図案を学んだ。尾形光琳に対する敬慕から紅麟の号を用いた。明治29年京都美術協会主催の第2回新古美術品展で入賞、また第2回懸賞図案会で褒状1等となり、その後も新古美術品展への出品と受賞を重ねた。明治33年京都市立美術工芸学校の嘱託技手として勤務し、明治38年に同校助教授となった。明治43年の暮れに突然病に倒れ、36歳で死去した。
京都(173)-画人伝・INDEX
文献:古谷紅麟 草花模様、京都画壇における琳派のエッセンス







