
熊谷直彦「雨中山水」東京国立博物館蔵
熊谷直彦(1828-1913)は、京都の神職の家に生まれ、14歳で四条派の岡本茂彦の門人となったが、入門して3年ほどで師の茂彦が没したため、その後は独学で画技を磨いた。弘化元年に広島藩の京都詰衣紋方だった熊谷左門の養子となり、高倉家に出入りして有識故実も研究した。
幕末の動乱期には藩士として国事に奔走したが、明治維新後は東京在勤となった。広島県大属に任命されたが、明治4年にそれを辞して画業に専念した。明治17年の第2回内国勧業博覧会で受賞し、その後も展覧会や博覧会に出品して好評を博し、晩年は画家として大成した。
熊谷直彦(1828-1913)くまがい・なおひこ
文政11年京都生まれ。本姓は山本、幼名は藤太郎、のちに兵衛、季彦、直彦と改めた。篤雅と号した。父は山本季金という神職だったが、広島藩京都詰衣紋方の熊谷左門の養子となった。岡本茂彦に四条派の画を、高倉家に衣紋道の故実を学んだ。明治17年第2回内国絵画共進会で銅賞を受賞。明治37年帝室技芸員となった。明治40年の文展開設にあたっては、新派に対抗して結成された正派同志会の第1回展審査員をつとめ、日本美術協会の委員、顧問を歴任した。大正2年、86歳で死去した。
参考記事:広島四条派の系譜、明治・大正期に広島画壇を牽引した里見雲嶺
京都(150)-画人伝・INDEX
文献:日本美術院百年史1巻上、日本画家人名事典







