伊東養定(1780-1860)は、「養」の付く雅号から木挽町狩野家に学んだと思われるが、その記録はない。狩野晴川院養信が書き溜めた『公用日記』にも名前はない。作品の落款に「正貳法橋」とあることから、藩の奥医師格であったと考えられ、高い評価を得ていた絵師と思われる。
江戸の狩野家との師弟関係が明らかでない絵師たちのなかには、狩野家に学んだにもかかわらず、そのことが伝わらなかった絵師もいると思われる。18世紀末から19世紀にかけて薩摩で活動し、狩野派と思われる絵師としては、狩野派風の絵を残している獅子目清雲、雅号から木村探元の門人と思われる児玉探月や古藤探達、別号の類似性から探達と近い関係にあったと思われる村田経方らが狩野派の絵師である可能性が高いが、作品は確認されていない。
伊東養定(1780-1860)
安永9年生まれ。養定斎とも称した。正貳法橋。作品としては、鹿児島県歴史資料センター黎明館所蔵の「関羽図」、指宿白水館所蔵の「寿老人図」が残っている。万延1年、81歳で死去した。
獅子目清雲(不明-不明)
別号に洞陽がある。狩野派風の作品を描いた。作品は鹿児島県歴史資料センター黎明館所蔵の「旭日鶴図」が残っており、落款が「薩摩洞陽」とあることから、駿河台狩野家の系譜に連なる絵師ではないかと考えられている
児玉探月(不明-不明)
通称は守約。別号に定山がある。
古藤探達(不明-不明)
別号は松雲子がある。
村田経方(不明-不明)
通称は源左エ門。別号に松溪子がある。
訓谷沢水(不明-不明)
家に法書・名画を多く所蔵した。
有馬純明(不明-不明)
通称は子達。別号に馬純明、夏陰がある。草牟田に住んでいた。
鹿児島(22)-画人伝・INDEX
文献:薩摩の絵師、美の先人たち 薩摩画壇四百年の流れ、薩藩画人伝備考、薩摩の書画人データベース