◎江戸中期の画家(3)
五十嵐蘭児
秋田生まれ。本名は栄助、もしくは善助。別号に如泉斎、周皐。寛政5年郊外八橋宝塔寺翁塚の石灯篭にも名を連ねた五明門の重鎮。画もよくした。菅江真澄『ひなの遊び』(文化6年)に2点の絵が掲載されている。文化11年6月25日死去。
那珂碧峰
寛延元年生まれ。秋田市中亀ノ丁小路の人。儒者。名は通博、字は公雅、通称は長左衛門、別号に渓山閣、絃誦堂、飽媛、鶴峰がある。俳号は左右宜斎如琴。書画をよくした。文化14年2月5日死去。
近松昌栄
秋田の画家。佐竹氏に仕えた。文政中の人。
藤田雪原斎
北秋田郡合川町下大野の八幡岱新田に生まれる。初めは岡姓だったという。名は祥元、別号に北海陳人などがある。若くして京都に上って修業し、円山四条派の絵を身につけた。円山応挙に似た作風で、一時は雪原斎のサインを消して応挙の名を書き加えて売る悪徳業者がでたほどだという。個人蔵の《樵夫》《寒山拾得》《えびす大黒》《寿老》《人物》などの作品が残っている。
滝尾文谷
秋田藩、佐竹東家臣。別号に画仙堂、雪香堂、泉石斎。文晁の門。
佐藤米河
比内町扇田の人。別号に米川。放浪の画人といわれるが足跡は不明。個人蔵の《菊》《竹》《雲龍》などの作品が残っている。
上遠野雪峰
「横手鷹」を描いた一人。名は典膳、別号を清水堂といった。横手の上根岸末丁辺に住んでいたらしい。個人蔵の粉本巻き物に匂田台嶺の一巻があり、巻末に「この本に絵を学んだ」という雪峰の一筆があることから、この画集でデッサンを学んだとみられる。人となりは不詳。
津村洞達
本名は重之、のちに由之。通称は伝兵衛、別号に印月斎、松翠がある。江戸の狩野洞淋幽達の門とされる。養子の洞仙も孫の洞養も画家。秋田市寺内の西来院寺宝となっている《涅槃図》は、五彩の糸を使って織られたつづれ織りで、洞達が下絵と色彩を担当、「秋田うね織り」の石川滝右衛門と京西陣の織工・村上円八が組んで完成させた。文政2年死去。
狩野秀東
横手の画家。妹尾氏。戸村家に仕えた。師秀水。
田代雲夢
宝暦7年10月29日生まれ。名は国綱。忠国、周助とも称し、春秋庵、金台散人、雲夢とも号した。森田顕忠の二男。秋田藩の武士で、同じ蘭画を描いた佐竹曙山(義敦)に仕えた。小田野直武、荻津独元斎勝孝といっしょに平賀源内から蘭画を学んだ「秋田派洋画」の主要人物。個人蔵の《紅毛童子図》《南蛮花器図》《岩にボタン》《円窓美人》など作品も多く残っており、岡山県邑久郡邑久町尻海の若宮八幡の堂内からも新しく《干将と莫邪》が見つかった。天保元年10月9日死去。
秋田(4)-ネット検索で出てこない画家
文献:秋田書画人伝