島田墨仙(1867-1943)は、福井藩士で画人でもあった島田雪谷の二男として福井城下に生まれた。9歳頃から父雪谷について四条派を学び、父の没後は独学していたが、28歳の時に上京して橋本雅邦に師事した。また、川崎小虎にも入門して風俗史や故実を研究し、歴史画、特に歴史人物画に優品を残した。
島田墨仙(1867-1943)しまだ・ぼくせん
慶応3年福井県城下東子安町(現在の福井市宝永)生まれ。福井藩士・島田雪谷の二男。本名は豊作、のちに豊。はじめ父に画を学び、明治29年上京して橋本雅邦に師事した。同年日本絵画協会第1回絵画共進会で3等褒状、翌年の第3回展で銅牌を受領した。川崎小虎にも入門し、有識故実を研究した。その後も日本絵画協会連合会共進会などで受賞を重ね、明治36年第5回内国勧業博覧会で3等銅賞を受賞した。雅邦一門による二葉会に参加し、文展開設に際しては新派が結成した国画玉成会に準備委員として加わり発起人に名を連ねた。文展にたびたび出品し、第6回帝展では審査委員をつとめた。昭和18年帝国芸術院賞を受賞。同年、77歳で死去した。
福井(22)-画人伝・INDEX
文献:島田墨仙展、日本美術院百年史2巻上