洋画家

フュウザン会の中心的人物として萬鉄五郎、岸田劉生らとともに活動した川上涼花

2022/5/20  

川上涼花「鉄路」東京国立近代美術館蔵 川上涼花(1887-1921)は、東京の麹町区商工中学校を卒業後、画家を志して太平洋画会研究所に学び、明治45年5月、同研究所の川村信雄ら新傾向の絵画に共鳴する同 ...

安宅安五郎ら初期文展・帝展に出品した新潟の洋画家

2022/5/18  

安宅安五郎「春」新潟市美術館蔵 初期文展で活躍した新潟出身の洋画家としては、小山正太郎の同人舎に学んだ高村真夫をはじめ、牧野虎雄、安宅安五郎、相馬其一、富田温一郎、佐藤哲三郎らがいる。 安宅安五郎(1 ...

日本的洋画を目指して福田平八郎ら日本画家と六潮会を結成した牧野虎雄

2024/12/14  

牧野虎雄「磯」宮城県美術館蔵 新潟県中頚城郡高城村(現在の上越市)に生まれた牧野虎雄(1890-1946)は、5歳の時に新潟を離れ、一家で東京に移住した。日本中学(現在の日本学園高等学校)在学中に画家 ...

高村真夫ら不同舎に学んだ新潟の洋画家

2022/5/13  

高村真夫「停車場の夜」国立東京博物館蔵 明治20年、国立の美術教育機関として東京美術学校が創設されたが、フェノロサや岡倉天心らの洋画排斥運動の影響か、当初は同校に西洋画科は設置されておらず、明治美術に ...

日本洋画の揺籃期に多くの洋画家を育てた小山正太郎

2022/5/11  

小山正太郎「濁醪療渇黄葉村店」ポーラ美術館蔵 越後の長岡藩医の家に生まれた小山正太郎(1857-1916)は、はじめ政治家を志して13歳で上京し、働きながら学んでいたが、幼いころから関心があった絵画へ ...

彫刻家として渡仏し画家としてパリ画壇で脚光をあびた中村直人

2022/2/17  

中村直人「緑蔭に憩う」 中村直人(1905-1981)は、長野県小県郡神川村(現在の上田市)に養蚕農家の三男として生まれた。大正12年、地元の神川小学校に入学。この小学校は、山本鼎が最初の児童自由画展 ...

新感覚派と注目されたが37歳で戦死した島崎鶏二

2022/2/14  

島崎鶏二「水」 島崎鶏二(1907-1944)は、島崎藤村の二男として東京浅草に生まれ、15、6歳の頃から2年間、信州木曽馬籠で農業を手伝うかたわら絵を描く生活を送った。その後、川端画学校に入学して藤 ...

タケ・サトーとして英国画壇で名を馳せた佐藤武造

2022/2/9  

佐藤武造「アイラ・サンダム」 長野県下高井郡瑞穂村(現在の飯山市)に生まれた佐藤武造(1891-1972)は、中学時代に丸山晩霞らが講師をしていた水彩画夏期講習会に参加して認められ、中学卒業後に画家を ...

官展を離れ第一美術協会の発展に寄与した神津港人

2022/2/7  

神津港人「凩(こがらし)」 神津港人(1889-1978)は、北佐久郡志賀村(現在の佐久市)に生まれた。16歳の時に、小諸義塾を開いていた丸山晩霞のもとで半年間指導を受け、その後上京して東京美術学校西 ...

洋画研究所を開設し中信の洋画普及に貢献した宮坂勝

2022/2/4  

宮坂勝「スケート」 宮坂勝(1895-1953)は、南安曇野郡倭村(現在の松本市梓川)の酒造家の二男として生まれ、旧制松本中学校卒業後は、東京美術学校西洋画科に進学した。卒業後、大正12年に渡仏、アカ ...

一水会結成に参加した小山敬三と信州の一水会の画家

2024/12/11  

小山敬三「浅間山夕月」小諸市立小山敬三美術館蔵 昭和11年、二科会を退会した石井柏亭、有島生馬、安井曾太郎、山下新太郎、藤川勇造の5名に、硲伊之助、小山敬三、木下孝則、木下義謙が加わり、一水会が創立さ ...

高橋貞一郎ら信州の春陽会の画家

2022/1/31  

高橋貞一郎「ノートルダム寺院」市立岡谷美術考古館蔵 春陽会は大正11年、日本美術院洋画部を脱退した小杉未醒(放菴)、足立源一郎、倉田白羊、長谷川昇、森田恒友、山本鼎の6名と梅原龍三郎が創立会員、そして ...

日本に本格的にフォーヴィスムを移入した中川紀元

2024/12/20  

中川紀元「人形を抱く娘」 中川紀元(1892-1972)は、上伊那郡朝日村(現在の辰野町)に生まれた。旧制諏訪中学(現在の諏訪清陵高校)卒業後は東京美術学校彫刻科に進学したが、半年で中退。のちに太平洋 ...

素朴な画風で「日本のルソー」と呼ばれた横井弘三

2022/1/26  

横井弘三「私と焼き絵研究」 下伊那郡飯田町(現在の飯田市)に生まれた横井弘三(1889-1965)は、3歳頃に家族で上京し、東京下町で育った。私立大成中学校在学中から東京美術学校への進学を希望していた ...

アナキストを描いた肖像画が会場撤去となった林倭衛

2022/1/24  

林倭衛「出獄の日のO氏」 林倭衛(1895-1945)は、小県郡上田町(現在の上田市)に生まれた。幼少期に家の没落と一家離散を経験。15歳で両親の後を追って上京し、印刷会社で働きながら日本水彩画会研究 ...

大正リアリズムの鬼才・河野通勢

2024/12/11  

河野通勢「自画像」 河野通勢(1895-1950)は、群馬県伊勢崎市に生まれ、長野市で育った。高橋由一の門に学び図画教師をしていた父・河野次郎の影響で、子どものころから絵を描くのを得意としていた。大正 ...




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