洋画家

文展で「山羊の画家」として注目され、のちに風景画のスタイルを確立させた辻永

2021/7/6  

辻永「夾竹桃と山羊」茨城県近代美術館蔵 中村彝とほぼ同世代で、文展、帝展で活躍した茨城ゆかりの画家に辻永(1884-1974)がいる。辻は広島の生まれで、父の転勤の関係で生後7ケ月で水戸に移った。中村 ...

すぐれた肖像画を残し夭折した中村彝

2023/9/26  

中村彝「エロシェンコ氏の肖像」東京国立近代美術館蔵 中村彝(1887-1924)は、明治20年に茨城県仙波村(現在の水戸市)に生まれた。生家は代々徳川家に仕えた旧士族の名家で、祖父の三五右衛門は、藤田 ...

明治生まれの福島県の洋画家

2021/7/6  

斎藤清「競艶」 福島県内における初めての洋風画家としては、須賀川出身の亜欧堂田善がいる。白河藩主・松平定信に認められ、谷文晁に師事し、実用的銅版画を完成させた。明治期に入ると、高橋由一が三島通庸の依頼 ...

将来を嘱望されながら20歳で夭折した幻視の画家・関根正二

2023/9/28  

関根正二「信仰の悲しみ」 関根正二(1899-1919)は、現在の白河市の茅葺き職人の二男として生まれ、8歳の時に東京の深川に転居した。深川では日本画家の伊東深水(1898-1972)と幼なじみで、深 ...

岸田劉生とともに「日本人としての油絵」を追求した椿貞雄

2021/7/6  

椿貞雄「菊子座像」平塚市美術館蔵 米沢市に生まれた椿貞雄(1896-1957)は、幼いころから絵画に親しみ、18歳の時に画家を志して上京、その後まもなく岸田劉生(1891-1929)の個展を見て感銘を ...

美術文化協会の結成に参加した浜松小源太

2021/7/6  

浜松小源太「世紀の系図」 秋田県大館市に生まれた浜松小源太(1911-1945)は、秋田師範学校専攻科を卒業後、地元の小学校につとめながら制作につとめ、昭和6年に開催された第1回独立美術展に入選した。 ...

ブルースの女王・淡谷のり子を専属モデルにしたことでも知られる田口省吾

2021/7/6  

田口省吾「見世物」 田口省吾(1897-1943)は、明治30年東京文京区本郷に生まれた。父の田口掬汀は、秋田県角館出身の小説家で、美術雑誌「中央美術」を創刊し、美術評論も手掛けていた。省吾は、美術家 ...

横手市の郷土史研究にも携わった金沢秀之助

2021/7/6  

金沢秀之助「たそがれの海女」 金沢秀之助(1894-1967)は横手市に生まれ、上京して東京美術学校西洋画科に入学、卒業後は渡仏しパリのアカデミーに学んだ。大正13年に帰国したが、翌年の父の死により帰 ...

秋田県の洋画家の草分け的存在・小西正太郎

2021/7/6  

小西正太郎「赤い着物の女」 秋田県人で最も早く洋画を学んだとされるのは、男鹿市出身の斎藤鹿山(1866-1943)だが、斎藤は、その後30歳の時に福田笑迎と秋田新聞を創刊、節堂などの筆名で雑文や短編小 ...

激動の1930年代を駆けぬけた大沼かねよ

2021/7/6  

大沼かねよ「野良」 大沼かねよは、明治38年に宮城県栗原郡岩ケ崎町(現在の栗原市)に生まれ、仙台の女子師範学校を卒業後、東京女子高等師範学校図画専修科を経て、昭和3年に岩手県立水沢高等女学校教諭となり ...




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