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近江日野の信楽院に多くの作品を残した高田敬輔
2024/11/13
高田敬輔「信楽院天井画」(部分) 高田敬輔(1674-1755)は、近江日野(現在の滋賀県蒲生郡日野大窪町杉野神)に生まれた。祖先は藤原氏の出自で、永禄年間に高田姓となり、織田信長に従って尾張にいたが ...
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群馬県内外43カ所の寺院に天井画を描いた林青山
2021/7/5
林青山「みなかみ町・廣福寺の天井画」(部分) 群馬県利根郡桃野村上津(現在のみなかみ町上津)に生まれた林青山(1847-1933)は、6歳で藤岡の法橋重信の門に入り、絵の勉強をはじめ、13歳の時に湯の ...
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群馬師範学校の生徒実習に鉛筆画を導入した武居梅坡
2021/7/5
武居梅坡「雲龍図」大雲寺蔵 武居梅坡(1831-1905)は、高崎新田町に生まれた。幼いころから画を好み、6歳のころには草双紙などの挿絵を模写することを娯しみとしていたという。12歳の時に高崎藩士で南 ...
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上州南画の先駆者・柿沼山岳
2021/7/5
柿沼山岳「鷹図」 柿沼山岳「龍図」 柿沼山岳(1774-1859)は、安永3年、武蔵国加須(現在の埼玉県加須市)に生まれた。若いころ江戸に出て、亀田鵬斎に師事して漢学と画技を学んだと思われる。諸国遊歴 ...
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白河藩御用絵師として城内障壁画や肖像画の制作をはじめ各種写生記録を手掛けた巨野泉祐
2021/7/6
巨野泉祐 左:秋草図、右:月中之龍図 白河城下に生まれた巨野泉祐(1774-1837)は、16歳の時に仕官し、白河藩校・立教館容儀師範の手付となり、はじめて絵の御用に携わった。寛政7年には松平定信に画 ...
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会津・三春で活動した戦国時代の奇想の画僧・雪村周継
2021/7/6
雪村周継「呂洞賓図」重文 大和文華館蔵 雪村周継は、伊藤若冲や曾我蕭白に代表される「奇想の画家」の元祖とも称される戦国時代末期の画僧で、大胆な構図と奇態な人物描写で知られている。比較的多くの作品が残っ ...
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明治大正期、日本画壇旧派の重鎮として政治的手腕を発揮した下條桂谷
2021/7/6
下條桂谷「龍之図」 米沢に生まれた下條桂谷は、はじめ郷里で目賀多家で狩野派の画法を学び、のちに江戸に出て鍛冶橋狩野家の門に入ったとされる。明治8年には狩野探美らと古書画鑑賞会を興し、明治12年に龍池会 ...
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目賀多家に学んだ米沢の絵師たち
2021/7/6
左:若井牛山「陶淵明」、右:佐藤雪斎「龍図」 米沢では絵を学ぶ者の大半が目賀多家に入門したことから、狩野派の画風が主流で、主な絵師としては、目賀多雲川守息に学んだ小田切寒松軒をはじめ、目賀多雲川信済に ...
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田口森蔭とともに二代喜多川歌麿に学んだとされる長嶺清麿
2021/7/6
長嶺清麿「富士越龍図」岩手県立博物館蔵 田口森蔭とともに二代喜多川歌麿に学んだとされる長嶺清麿(1789-1853)は、森蔭より4歳年長で、森蔭が起こした落首事件の際には、「奇妙騒動飲」という薬の効能 ...
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弘前藩絵師・片山家
2021/7/6
片山養和常寿「元三大師御縁起 巻三」(部分) 弘前藩のお抱え絵師は、鵜川常雲の仲介により、狩野常信の門人のなかから、片山弥兵衛、今村五郎兵衛、赤石六右衛門、秦新右衛門、新井閑竹の5名の絵師が召し抱えら ...
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木村探元亡きあとも薩摩画壇を盛り上げた探元の画系
2021/7/6
東條探竺「雲竜図」 木村探元の門人で『薩摩画人伝備考』に記載されている能勢探龍、押川元春、和田雪観、山路探定、森探瑞、白石探隠、永井探謙、竹崎元章、安山親定、市成弥平太の10名のうち、有力門人とされる ...
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鱗が1枚欠けた蟠龍・御厨夏園による多久聖廟の天井画
2021/7/14
御厨夏園「多久聖廟の天井画」 佐賀藩多久領四代領主・多久茂文(1669-1711)は、幼いころから学問を好み、18歳で家督を相続してからは、多久の人々の教育促進のため、学問所である東原庠舎や、孔子像を ...
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諸国を遊歴し多くの門人を残した堀江友声
2021/7/9
堀江友声「龍虎図」島根県立美術館蔵 大原郡大東町に生まれた堀江友声(1802-1873)は、14歳の時に松江に住んでいた狩野派の竹内衡山に入門、衡山の没後は京都に出て狩野派の山本探淵に師事した。また、 ...
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江戸木挽町狩野と伊予大洲藩の文人大名
2022/9/5
加藤文麗「唐人龍虎図」 江戸時代も中頃を過ぎると、伊予の各藩では常任の絵師をおくことが一般化し、藩主自らが絵筆を握る文人大名も現れるようになった。大洲藩三代藩主・加藤泰恒は、江戸木挽町狩野二代・狩野養 ...