UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま北関東地方を探索中。

「龍図」 一覧

白河藩御用絵師として城内障壁画や肖像画の制作をはじめ各種写生記録を手掛けた巨野泉祐

白河城下に生まれた巨野泉祐(1774-1837)は、16歳の時に仕官し、白河藩校・立教館容儀師範の手付となり、はじめて絵の御用に携わった。寛政7年には松平定信に画才を認められ、谷文晁に入門。寛政9年に ...

会津・三春で活動した戦国時代の奇想の画僧・雪村周継

雪村周継は、伊藤若冲や曾我蕭白に代表される「奇想の画家」の元祖とも称される戦国時代末期の画僧で、大胆な構図と奇態な人物描写で知られている。比較的多くの作品が残っているが、その生涯を伝える資料は少なく、 ...

明治大正期、日本画壇旧派の重鎮として政治的手腕を発揮した下條桂谷

米沢に生まれた下條桂谷は、はじめ郷里で目賀多家で狩野派の画法を学び、のちに江戸に出て鍛冶橋狩野家の門に入ったとされる。明治8年には狩野探美らと古書画鑑賞会を興し、明治12年に龍池会の結成に参加した。 ...

目賀多家に学んだ米沢の絵師たち

米沢では絵を学ぶ者の大半が目賀多家に入門したことから、狩野派の画風が主流で、主な絵師としては、目賀多雲川守息に学んだ小田切寒松軒をはじめ、目賀多雲川信済に学んだ若井牛山、百束幽谷らがおり、佐藤雪斎、中 ...

田口森蔭とともに二代喜多川歌麿に学んだとされる長嶺清麿

田口森蔭とともに二代喜多川歌麿に学んだとされる長嶺清麿(1789-1853)は、森蔭より4歳年長で、森蔭が起こした落首事件の際には、「奇妙騒動飲」という薬の効能書きをもって、森蔭とともに歩調を合わせて ...

弘前藩絵師・片山家

弘前藩のお抱え絵師は、鵜川常雲の仲介により、狩野常信の門人のなかから、片山弥兵衛、今村五郎兵衛、赤石六右衛門、秦新右衛門、新井閑竹の5名の絵師が召し抱えられた。このうち赤石六右衛門を除いて、片山家、今 ...

木村探元亡きあとも薩摩画壇を盛り上げた探元の画系

木村探元の門人で『薩摩画人伝備考』に記載されている能勢探龍、押川元春、和田雪観、山路探定、森探瑞、白石探隠、永井探謙、竹崎元章、安山親定、市成弥平太の10名のうち、有力門人とされる能勢探龍(1702- ...

諸国を遊歴し多くの門人を残した堀江友声

大原郡大東町に生まれた堀江友声(1802-1873)は、14歳の時に松江に住んでいた狩野派の竹内衡山に入門、衡山の没後は京都に出て狩野派の山本探淵に師事した。また、宋・元・明の諸名家の筆法を研究すると ...

江戸木挽町狩野と伊予大洲藩の文人大名

江戸時代も中頃を過ぎると、伊予の各藩では常任の絵師をおくことが一般化し、藩主自らが絵筆を握る文人大名も現れるようになった。大洲藩三代藩主・加藤泰恒は、江戸木挽町狩野二代・狩野養朴常信の門に入り、「泰常 ...

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