UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま北関東地方を探索中。

「南画・文人画家」 一覧

南画家を支援し方向性を示した尾張の豪商・豪農

尾張南画の発展に大きく寄与したのが、パトロンの存在である。神谷天遊ら大実業家は、自らも画を描くとともに、経済的な面で画家たちを支援し、研究のために明清画など多くの書画資料を提供、作画における大きな方向 ...

尾張南画の変質期

丹羽嘉言らによって誕生した尾張南画だが、天明6年に嘉言が45歳で死去すると、尾張南画は新たな展開を迎えることとなる。南画ばかりでなく、当時の学問や文学にまで大きな影響を残した嘉言だが、流派を形成するよ ...

尾張南画の草創期

名古屋を中心とする尾張地方の南画は、江戸中期の明和年間に始まり、幕末・明治に至るまで多彩な展開をみせた。日本南画の創始に重要な役割を果たした彭城百川(1697-1752)も名古屋の生まれだが、その活動 ...

東三河における小華門(2)

大河戸晩翠 弘化2年2月12日吉田指笠町生まれ。真宗高田派願成寺の住職・福沢諦聞の四男。名は挺秀、幼名は霊台、字は守節。別号に梅笠、六聰散人、吉祥山人、馴雀園などがある。安政2年、11歳の時に、同派牛 ...

東三河における小華門(1)

明治7年に渡辺小華が豊橋に移り住み、従来の石峰・文笠一門であった画家たちも南画一色となり、小華門は最盛期を迎える。小華門下では、遠江の山下青、豊橋の深井清華、大河戸晩翠、稲田耕山、鈴木梅巌、田原の井 ...

崋椿系が根付く前の東三河画壇(2)

星野田斉 関東地方の出身で、文久、慶応の頃に吉田に足を止め、本町の金子家に長く滞在した。別号に天福道人ある。鉄筆画を得意とした。 土井平所 御油の問屋役で、通称は竹屋権四郎、別号に蒲碧堂、蘭竹草堂があ ...

大正から昭和初めにかけての遠州画人

大正から昭和初めにかけて、山下青厓ら崋椿の流れをくむ渡辺小華門下をはじめ、遠州に縁のあった川村雨谷門下や、松林桂月門下、小室翠雲門下、竹内栖鳳門下など様々な師系の日本画家が活躍、それに加えて山根仏頂亭 ...

小華へと続く崋椿の流れ

多くの崋山・椿山門下生を輩出している遠州画壇にあって、渡辺崋山の子であり、崋山没後は福田半香がひきとり椿椿山が指導した渡辺小華へと流れが続いていくことは自然なことだった。遠州画壇を盛り上げた小華門下に ...

自適にして名を求めず・中村生海

平井顕斎は、福田半香と並び称されながらも、画壇にあって不遇であり門弟に恵まれたともいえない。顕斎の門弟は出生地の川崎地方と浜松地方に多く、浜松に思斎の子、樋口如璋、曳馬村に中村翠濤と中村松塢、積志村に ...

遠州における椿山門下

明治に入り、渡辺崋山門下によって培われた南画全盛の気運が、この期に結実したとみられる盛況をみせた。椿椿山の門下では、吉田柳蹊、大草水雲、望月雲荘の三人が名をなすが、いずれもネット検索では詳細が出てこな ...

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