南画・文人画家

鳥取南画の祖・赤山水の建部樸斎

2021/7/9  

建部樸斎「山水図」 鳥取で最初に南画を描いたのは、鳥取藩西舘藩士・建部樸斎(1769-1838)とされる。樸斎は、家督を継いだ24歳頃から経学を修め、書を学び、画をよくした。師系は明らかではないが、詩 ...

谷文晁の実弟・島田元旦

2021/7/9  

島田元旦「雪中山水図」 谷文晁(1763-1840)の実弟として生まれた谷元旦(1778-1840)は、鳥取藩江戸留守居役を務めていた島田図書の養子となり、島田家を継いで島田と改姓した。15歳離れた兄 ...

鳥取画壇の祖・土方稲嶺、鯉の名手と謳われた門人の黒田稲皐と小畑稲升

2021/7/9  

土方稲嶺「麝香花下悠々之図」 鳥取画壇の祖と称される土方稲嶺(1741-1807)は、鳥取に生まれ、江戸に出て宋紫石の門に入り南蘋派を学んだ。のちに京都に移り、一説には円山応挙に師事したとされる。寛政 ...

島根を代表する近代南画家、西晴雲と木村棲雲

2021/7/9  

木村棲雲「秋溪泛舟」 島根を代表する明治期の南画家としては、西晴雲(1881-1963)と木村棲雲(1885-1967)が挙げられる。西晴雲は、上京して吉嗣拝山に南画を学んだが、当時の南画界の動向に不 ...

天野嗽石と松江の門人

2021/7/9  

松江に住んでいた天野嗽石(1837-不明)は、小田海僊の門人・近藤桃江に師事し、のちに金子雪操に学んだ。京都、山陽、四国、九州などを遊歴し、四国松山にも一時住んだとされるが、没地などは不明である。松江 ...

備中から移り住み画塾を開いた塩田銕香と出雲の門人

2021/7/9  

塩田銕香「天保九如」 備中(岡山県)に生まれた塩田銕香(1850-1889)は、26歳の時に出雲を訪れて以来、この地に住み、画塾を開いて画技の指導をした。このため出雲市近辺では絵画に対する眼識を開いた ...

出雲地方に南画鑑賞の土壌を培った田能村直入と出雲の門人

2021/7/9  

田能村直入「梅花書屋図」白潟天満宮蔵 江戸後期になると、出雲・石見地方でも文人趣味の機運が起こり、この地を訪れる南画家を歓心を持って迎え、揮毫を依頼したり、漢詩や南画の指導を受けたりした。尾張の南画家 ...

出雲を訪れた風外禅師に学んだ横山雲南(黄仲祥)

2021/7/9  

横山雲南(黄仲祥)「楼閣山水図」 出雲地方には白隠慧鶴禅師(1685-1768)の筆による書画がいくつか伝来している。松江市の天倫寺に伝わる「出山釈迦図」「大応・大燈・関山国師図」などで、いずれも白隠 ...

渡辺崋山と密接に交遊した津和野藩家老・多胡逸斎

2023/7/24  

多胡逸斎「八仙人図」 津和野藩家老・多胡逸斎(1802-1857)は、博識で内外の情報に通じ、藩政においても手腕を発揮、天保の飢饉に際しても藩内は難を逃れたという。書画においても、多くの著名南画家たち ...

近代絵画としての南画の再生に尽力した松林桂月

2021/7/9  

松林桂月「愛吾廬図」山口県立美術館蔵 松林桂月(1876-1963)は、渡辺崋山や椿椿山の系流につながる野口幽谷に師事し、江戸期以来の崋椿系南画の系統を受け継ぎながらも、近代における南画の有り様を模索 ...




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