動物画

柳本洞素と門人

2021/7/9  

左:柳本素石「鵯越図」、右:野村春江「鯉図」 柳本洞素(1838-1894)は弘瀬洞意(絵金)に学んだ後、江戸に出て駿河台狩野七代・狩野洞白陳信の門に入り、安政4年には土佐藩の御用絵師になった。山内豊 ...

浅井柳塘と徳島の近代南画家

2022/8/20  

浅井柳塘「松鶴圖」 徳島ゆかりの近代南画家としては、幕末から明治初頭にかけて、京都で名声を博した浅井柳塘(1842-1907)がいる。生地は京都と徳島の2説がある。百々広年、谷口藹山に南画を学び、貫名 ...

阿波の円山・四条派

2022/8/20  

松浦春挙「猿猴図」 藩の御用絵師は狩野派にしても住吉派にしても江戸の系統の画派だったが、町絵師の大部分は、南画家を除くと京都の四条派が多くを占めていた。森狙仙に学び、のちに円山応挙に師事した松浦春挙( ...

阿波の住吉派の第一人者・守住貫魚と門人

2022/8/20  

守住貫魚「騎馬武者像」徳島市立徳島城博物館蔵 守住貫魚(1809-1892)は、同郷の渡辺広輝に学んだのち、住吉広定に師事、住吉派の御用絵師として阿波蜂須賀家に仕えた。また、江戸時代に火がついた歴史ブ ...

木挽町狩野家と徳島藩の画人

2022/8/20  

矢野栄教「七福神図」宝厳寺蔵 徳島藩御用絵師では、佐々木家の佐々木養郭をはじめ、矢野栄教、河野栄寿らは、幕府御用絵師の狩野派のうち最も繁栄したとされる木挽町狩野家の当主・狩野栄川院典信に学んだ。またそ ...

紀伊の円山・四条派

2025/3/26  

左:森月航「花鳥図」、右:森月航「蝶図」 紀伊の円山・四条派としては、松村景文の門人である鎌田景麟(1808-1864)、景麟に学んだ塩谷景山(不明-不明)、挿図を多く描いた塩路鶴堂らがいる。また、月 ...

紀州三大南画家・桑山玉洲の画業と画論

2022/8/19  

桑山玉洲 左:桃李狸奴図、右:野馬図 紀州三大南画家のひとり、桑山玉洲(1746-1799)は、若くして実業家として成功し、生涯を紀伊の地で過ごした。事業のからわら画法を研究し、理想郷を描いた山水画や ...

紀南田辺の狩野派・真砂幽泉

2022/8/19  

真砂幽泉 左:鷙鳥図、右:紅葉に尾長鶏図 紀南田辺で活躍した狩野派の画人としては、真砂幽泉がいる。近世の田辺では、医者や学者らが余技として画を描くものはいたが、師系のはっきりした画人としては幽泉のほか ...

虎図の大橋翠石と岐阜の動物画家

2022/8/16  

虎図 大橋翠石 多くの画家たちが京都画壇を目指すなか、大垣の大橋翠石(1865-1945)は東京に出て渡辺小華に師事し南画を学び、その後、動物画を研究し、特に虎図では写実に徹した独自の画法を確立した。 ...

小華が去った後の豊橋画壇

2024/12/29  

左:夏目泰果「鳳来寺山之図」、右:白井永川「孔雀図」 明治15年に渡辺小華が上京した後の豊橋画壇は、小華の直弟子である大河戸晩翠、森田緑雲、植田衣洲らが引き継いで盛り立てた。曲尺手町の呉服屋「八星」で ...

遠江南画の全盛

2024/12/29  

渡辺崋山「蘆汀双鴨図」 文晁に次いで、さらに遠江と深い関係にあったのが渡辺崋山である。崋山門下として椿椿山と並んで双璧といわれた福田半香、さらに平井顕斎が出るにいたって、遠江の南画は全盛を迎えた。半香 ...

秋田(9)-ネット検索で出てこない画家

2024/12/27  

◎明治期の画家(1) 浅香旭元 幕末から明治期の本荘市の画家。画と鉄筆を得意とした。父は象洲。 浅香象洲 明和4年生まれ。名は泰常、字は子久。詩書をよしくた。天保10年7月25日死去。 伊藤如竜 明治 ...




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