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林十江や立原杏所とともに「水戸の三画人」といわれた水戸藩士・萩谷セン喬
2021/7/6
萩谷セン喬 左:「孔雀図」、右「鯉図」ともに水戸市立博物館蔵元は表裏一体の衝立として描かれたもの ※萩谷セン喬の「セン」は「僊」の「ニンベン」をとった字 萩谷セン喬(1779-1857)は、林十江の2 ...
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周囲に理解されないまま37歳で世を去った奇才・林十江
2021/7/6
林十江 左:「木の葉天狗図」茨城県立歴史館蔵、右:「蜻蛉図」 林十江(1777-1813)は、水戸城東の下市に酒造業を営む町人の子として生まれ、隣家で醤油醸造を営む伯父の家に養子に出た。絵を誰に学んだ ...
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雪村に院体画法を伝えた常陸太田の耕山寺の僧・性安
2021/7/6
図1:性安「蟹図」栃木県立博物館蔵 図2:雪村「葛花、竹に蟹図」群馬県立近代美術館蔵 性安(不明-不明)は、雪村と関係の深い常陸国太田村(現在の常陸太田市)の耕山寺の僧で、江戸期の画譜類には祥啓に学ぶ ...
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明治生まれの福島県の洋画家
2021/7/6
斎藤清「競艶」 福島県内における初めての洋風画家としては、須賀川出身の亜欧堂田善がいる。白河藩主・松平定信に認められ、谷文晁に師事し、実用的銅版画を完成させた。明治期に入ると、高橋由一が三島通庸の依頼 ...
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奇行で知られた会津の狩野派・萩原盤山
2021/7/6
萩原盤山「旭日鷲図」法華寺蔵 萩原盤山(1772-1846)は、会津若松城下甲賀町に住み、風変わりな行動の絵師として知られていた。路上で犬や鶏に出会うとじっと観察してその場を離れず、近所に火事があれば ...
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上山藩の御用絵師・丸野清耕
2021/7/6
丸野清耕「山羊図」 丸野清耕は、村山郡楯岡町(現在の村山市)の最上山浄覚寺の三男として生まれ、幼いころから画を好み、のちに江戸に出て中橋狩野家の十四代狩野邦信の門に入り、狩野派の画法を学んだ。帰郷後は ...
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写実と装飾性が一体となった新境地を確立した平福百穂
2021/7/6
平福百穂「獅子図」六曲一双屏風(右隻) 左隻 平福穂庵の子として角館に生まれた平福百穂(1877-1933)は、父に絵の手ほどきを受けていたが、13歳の時に父が死去、その4年後に上京して川端玉章に師事 ...
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秋田の円山四条派・平福穂庵門の三羽ガラス
2021/7/6
辻九皐「鷲」 秋田の円山四条派としては、長山孔寅、川口月嶺、柴田南谷、平福穂庵を中心に、多くの画家たちが出ており、寺崎広業、平福百穂も画系からみれば、この流派に属する。 角館の呉服屋に生まれた辻九皐は ...
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角館に四条派を移入した武村文海
2021/7/6
武村文海「鶏」 秋田藩内で盛んになった円山四条派の絵は、柴田南谷や川口月嶺によって広まったものと思われ、幕末から明治にかけて中央画壇でもその画名を知られるようになった角館の平福穂庵も、川口月嶺の影響を ...
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呉春に師事し大坂画壇で活躍した長山孔寅
2021/7/6
長山孔寅「双鹿」 秋田出身の四条派の初期画人としては、京都に出て呉春に学び、のちに大坂画壇で活躍した長山孔寅(1765-1849)がいる。孔寅は、12歳で角館の酒屋・久田屋に奉公し、のちに秋田の那波呉 ...