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江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
2022/8/20
森魚渕「藤原公任之図」 阿波の住吉派の第一人者である守住貫魚の門下で最も傑出した画人と称された森魚渕(1830-1909)は、ほとんどを徳島の地で活動し、地元画壇の発展に貢献した。明治20年代にできた ...
2022/8/20
浅井柳塘「松鶴圖」 徳島ゆかりの近代南画家としては、幕末から明治初頭にかけて、京都で名声を博した浅井柳塘(1842-1907)がいる。生地は京都と徳島の2説がある。百々広年、谷口藹山に南画を学び、貫名 ...
2022/8/20
左:吉成葭亭「勿来関図」右:吉成葭亭「婦人図」 浜口南涯(1801-1865)と吉成葭亭(1807-1869)は同じ四条派で、画の評判は拮抗していたが、医を業としながら和歌や茶道などもたしなむ南涯に対 ...
2022/8/20
松浦春挙「猿猴図」 藩の御用絵師は狩野派にしても住吉派にしても江戸の系統の画派だったが、町絵師の大部分は、南画家を除くと京都の四条派が多くを占めていた。森狙仙に学び、のちに円山応挙に師事した松浦春挙( ...
2022/8/20
三木恒山「花鳥図」 阿波の岸派としては、岸八行(1794-1857)、三木恒山(1811-1891)が京都に出て岸駒に学び、師にならい虎の画を得意とした。二人とも阿波に戻り、郷里で門人を育てている。八 ...
2022/8/20
守住貫魚「騎馬武者像」徳島市立徳島城博物館蔵 守住貫魚(1809-1892)は、同郷の渡辺広輝に学んだのち、住吉広定に師事、住吉派の御用絵師として阿波蜂須賀家に仕えた。また、江戸時代に火がついた歴史ブ ...
2022/8/20
渡辺広輝「東方朔図」渡辺広輝「竹に鶏図」 大名の御用絵師といえば狩野派が圧倒的に多かったが、阿波の蜂須賀家では南画家の鈴木芙蓉を登用したり、江戸後期になると好んで住吉派を召し抱えたりした。住吉派は、室 ...
2022/8/20
左:藤桃洲「七夕図」右:藤桃洲「美人図」 麻植郡学島二ツ森に住んでいた藤桃洲(1781-1837)は奇人として知られ、数々の愛すべき逸話を残している。桃洲の師である藤桃斎(1752-1820)は、江戸 ...
2022/8/20
阿波生まれの儒者・柴秋邨(1830-1871)は、幼くして父を失い、貧乏から身をおこして儒者になった。書も画も達人だったが、大酒飲みで酔余の作が多い。門弟が多くて交友も広く、河野鐵兜、藤井藍田らとも親 ...
2022/8/22
藤井藍田「羅漢図」 阿波の儒者・赤松藍州(1787-1858)は京都で頼山陽の父・春水に儒学を、画を中井藍江に学び、阿波に戻って多くの門人を育てた。また、尊攘派の儒者・藤井藍田(1816-1865)は ...
2022/8/20
藤重春山 上:津峰石門図、下:轟滝図 中林竹洞に学んだ阿波ゆかりの画人としては、京都在住の藩士の家に生まれた藤重春山(1828-1895)がいる。春山は阿波の蜂須賀家に出入りしていた御用町人で、笛の名 ...
2022/8/20
前田半田「花鳥図」 尾張南画の全盛期を牽引した中林竹洞(1776-1853)と山本梅逸(1783-1856)は、ともに京都に出て、阿波の貫名海屋をはじめ多彩な文化人たちと交遊し、多くの門人を育てた。山 ...
2022/8/20
貫名海屋「扁額墨竹図」草書五言絶句賛 市河米庵・巻菱湖とともに幕末の三筆にかぞえられる貫名海屋(菘翁)は、阿波徳島藩の旧家で藤原鎌足以来の系譜を持つ小笠原流の礼方家であった吉井家の二代目当主・直好と藩 ...
2022/8/20
藩の御用絵師となった南画家は、鈴木芙蓉・鳴門の鈴木家のみだったが、同時代に活躍した阿波ゆかりの南画家としては、京都で学び秋田藩に招かれて儒官となった村瀬栲亭(1744-1819)らがいる。栲亭は晩年に ...
2022/8/20
鈴木芙蓉「阿波盆踊図」賛:那波網川寛政8年(1796)に「酔画」として描かれた。「阿波おどり」を描いた最古の絵画作品とされる。 藩の絵師は通常幕府にならって狩野派か住吉派から召し抱えられていたが、11 ...
2022/8/20
矢野典博写(狩野典信原画)「釈迦・十六羅漢図粉本」森崎家資料として伝存する江戸期の目録『絵本目録覚』の「仏身」の部に掲出されている粉本。 森崎家は、徳島藩蜂須賀家に仕えた狩野派の絵師だったが、森崎桃春 ...
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