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江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま滋賀県を探索中。

孫億に学んだ宮廷画家・山口宗季(呉師虔)

2021/7/6  

山口宗季(呉師虔)「花鳥図」大和文華館蔵 石嶺伝莫、上原真知に継いで、第二次派遣として1704年に福建省福州に留学したのが宮廷画家の山口宗季(1672-1743)である。福建省に滞在中は、中国伝統の写 ...

琉球絵師を指導した福建画壇の画家・孫億

2021/7/6  

孫億「花鳥図」 17世紀後半から18世紀にかけて、琉球王府は、貝摺奉行所の絵師を薩摩藩や中国の福建省福州に派遣し、現地の画家から直接指導を受けさせた。中国に絵画留学した初の琉球絵師は、石嶺伝莫(165 ...

琉球絵師として最初に名を残した自了(城間清豊)

2021/7/6  

自了「白沢之図」(部分)沖縄美ら島財団蔵 琉球絵画は、13世紀に伝来した仏教文化に刺激を受けて発達したと考えられている。王国時代には、王府の行政機構に「貝摺奉行所」という部署があり、ここに絵師も所属し ...

セザンヌを日本に初めて紹介した有島生馬と二科会の発足

2021/7/6  

有島生馬「大震記念」 有島生馬(1882-1974)は、横浜市生まれだが、父親が薩摩川内市の出身で、鹿児島の画家との関わりは深い。文学者の兄・有島武郎、弟・里見弴とともに、有島三兄弟としても名高い。有 ...

鹿児島洋画壇の黄金期をつくった山下兼秀と谷口午二

2021/7/6  

山下兼秀「県庁前を避難する島民」鹿児島県歴史資料センター黎明館蔵 鹿児島市に生まれた山下兼秀(1882-1939)は、東京美術学校では師の黒田清輝に可愛がられ、周囲からは白馬会研究所を継ぐものと思われ ...

もうひとりの鹿児島洋画の先覚者・時任鵰熊

2021/7/6  

時任鵰熊「風景」東京藝術大学大学美術館蔵 鹿児島洋画壇の祖・大牟礼南島の2年後に東京美術学校の西洋画科を卒業したのが、もうひとりの鹿児島洋画の先覚者と称される時任鵰熊(1874-1932)である。時任 ...

鹿児島洋画壇の祖と称される大牟礼南島

2021/7/6  

大牟礼南島「風景」鹿児島市立美術館蔵 鹿児島出身の画家で、はじめて油彩画を描いたのが床次正精、はじめて正式に技術を学んだのが曽山幸彦、そしてはじめて本場西洋で学んだのが黒田清輝であり、ついで藤島武二、 ...

「大正の歌麿」と称された橋口五葉

2023/9/27  

橋口五葉「髪梳ける女」 明治31年に東京美術学校に新設された西洋画科は、黒田清輝が初代教授をつとめ、藤島武二、和田英作も助教授として教鞭をとっていたため、鹿児島出身の画家たちで同校西洋画科に学んだもの ...

鹿児島近代洋画第三の巨匠・和田英作

2023/9/27  

和田英作「渡頭の夕暮」東京藝術大学大学美術館蔵 黒田清輝、藤島武二につぐ鹿児島近代洋画第三の先達である和田英作(1874-1959)は、明治29年に東京美術学校に西洋画科が開設された際、藤島と同時に助 ...

日本近代洋画の牽引者・藤島武二

2023/9/27  

藤島武二「蒙古の日の出」鹿児島県歴史資料センター黎明館蔵 明治31年、東京美術学校に西洋画科が新設され、黒田清輝(1866-1924)が初代教授に就任した際、黒田が助教授に推薦したのは、三重県の尋常中 ...

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