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江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
2021/7/25
筆谷等観「春寒賜浴」 北海道美術協会(道展)の創立によって北海道美術が本格的に始動するようになったが、その一方で、北海道生まれ第一世代の美術家たちの中央画壇進出も目立ってきた。日本画家としては、院展の ...
2021/7/6
山内弥一郎「霧の朝」北海道立近代美術館蔵 スタートが遅れていた北海道美術だが、道民の間でも徐々に美術に対する興味と関心が大きくなり、創作面においても、技術の向上を目指して各地で小さな美術グループが結成 ...
2024/12/11
工藤三郎「ビアンクール(セーヌ河)」北海道立近代美術館蔵 北海道美術の黎明期、小樽は札幌とともに美術運動に大きな役割りを果たした。小樽の初期美術グループとしては、長谷川昇、小寺健吉、工藤三郎が東京美術 ...
2021/7/6
有島武郎「やちだもの木立ち」北海道大学農学部蔵 「生れ出づる悩み」「或る女」などで知られる小説家・有島武郎(1878-1923)も、黎明期における北海道美術の発展に貢献したひとりである。東京に生まれた ...
2021/7/6
菅原翠洲「出山之釈迦」 洋画家の林竹治郎(1871-1941)に続いて、北海道に美術教師として赴任してきたのが、日本画家の菅原翠洲(1874-1931)だった。東京に生まれた菅原は、東京美術学校日本画 ...
2021/7/6
林竹治郎「朝の祈り」北海道近代美術館蔵 明治30年代になって、東京美術学校出身の2人の美術教師が、いわば美術の開拓使の役割を担い、相次いで札幌に移住してきたのが、北海道美術の本格的なはじまりといえる。 ...
2021/7/6
高橋勝蔵「静物」宮城県美術館蔵 北海道洋画の黎明期に活躍した洋画家として、高橋勝蔵(1860-1917)がいる。高橋は宮城県亘理町に生まれ、10歳の時に家族とともに北海道に移住した。19歳で上京して日 ...
2021/7/6
横山松三郎「丁髷の男と外国人」写真油絵・コラージュ 北海道出身の横山松三郎(1838-1884)は、幕末期に写真術や西洋画法を学び、初めて江戸城を撮影するなど、記録写真師として活動するとともに、究極の ...
2021/7/6
北條玉洞「義経蝦夷渡り伝説絵馬」三笠市幌内神社蔵 悲運の武将といわれた源義経には、さまざまな伝説が残っており、「義経蝦夷渡り伝説」もその一つである。『吾妻鏡』や『義経記』が伝える史実としては、文治5年 ...
2021/7/6
木村巴江「蝦夷神祭之図」 平沢屏山の弟子といわれる絵師に木村巴江(不明-不明)がいる。函館水元の水茶屋の主人だったとも、理髪業を営んでいたとも伝わっている。経歴などは不明だが、屏山に学び、筆勢は及ばな ...
2021/7/6
木戸竹石「鮭漁図屏風」北海道開拓記念館蔵 明治9年に没した平沢屏山は、最後のアイヌ絵師と称され、その屏山の死をもってアイヌ絵は終焉したとされている。アイヌ絵のおおまかな定義としては「鎖国下にふくらむ好 ...
2021/7/6
平福穂庵「アイヌ鮭漁図」 平福穂庵(1844-1890)は、秋田の角館町に生まれ、7歳で同じ町内に住んでいた四条派の武村文海に画を学び、17歳で本格的に絵を学ぶべく京都に出たが、師には就かず、写生や古 ...
2021/7/6
富岡鉄斎「旧蝦夷風俗図屏風」(右隻)東京国立博物館蔵イオマンテ(クマ送りの儀礼)が描かれており、物語の流れとしては、画面中央右隅にいる5、6人の男たちによる「イナウ削り」から始まり、ついで画面下部にイ ...
2021/7/6
松浦武四郎『蝦夷漫画』札幌市中央図書館蔵 伊勢国に生まれた松浦武四郎(1818-1888)は、幼いころから旅にあこがれ、16歳の時にひとりで江戸まで歩いて旅をし、17歳からは全国各地を旅するようになっ ...
2021/7/6
村上貞助『蝦夷生計図説』のうち「チッフ(舟)の部・舟材の切り出し」 寛政11年の蝦夷地大調査に参加し『蝦夷島奇観』を著した村上島之允は、その後も蝦夷地の風俗や器物をさらに詳述した続編を著していたが、完 ...
2021/7/6
谷元旦「毛夷武餘嶋図」 寛政11年の幕命による蝦夷地大調査には、谷文晁の実弟・谷元旦(1778-1840)も産物調査の一員として参加していた。元旦がこの調査に参加したのは、15歳年長の兄・文晁が仕えて ...
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