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江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
2024/12/11
河鍋暁斎(1831-1889)は、天保2年に下総国古河(現在の茨城県古河市)の城下に生まれ、数え2歳の時に家族とともに江戸に出た。7歳で浮世絵師・歌川国芳のもとで画を学び、10歳で駿河台狩野家の前村洞 ...
2021/7/6
水戸の三画人と呼ばれる林十江、立原杏所、萩谷セン喬の3人が、そろって影響を受けたとされるのが、伊勢の画僧・月僊(1741-1809)である。月僊は名古屋に生まれ、十代で江戸の増上寺に入り、修行のかたわ ...
2021/7/6
※萩谷セン喬の「セン」は「僊」の「ニンベン」をとった字 萩谷セン喬(1779-1857)は、林十江の2年あとに水戸藩士の家に生まれ、奥右筆や書院番などをつとめ、屋敷は水戸城下の下梅香にあった。諸家に学 ...
2021/7/6
立原杏所(1785-1840)は、水戸彰考館総裁・立原翠軒の長男として水戸下市横竹隈に生まれた。杏所の号は邸内にあった杏の木によったという。画をはじめ林十江に学び、ついで翠軒の門に集まっていた宮部雲錦 ...
2021/7/6
林十江(1777-1813)は、水戸城東の下市に酒造業を営む町人の子として生まれ、隣家で醤油醸造を営む伯父の家に養子に出た。絵を誰に学んだかは、はっきりしないが、すでに子どもの頃から画才を発揮し、12 ...
2021/7/6
宝暦年間(1751-1764)になると、長崎に来航した沈南蘋が伝えた新しい写実主義が全国的に影響を及ぼし、江戸では宋紫石をはじめとする多くの南蘋派の画家たちが台頭し、当時全盛を誇っていた狩野派に対し、 ...
2025/3/27
桜井雪保(1754-1824)は、雪舟十二世と自称した桜井雪館の娘で、幼いころから父に画を学び、父とともに江戸を拠点に活躍した。雪舟十三世と称したという説もあるが、確かではない。画風は雪舟にその様式の ...
2021/7/6
磯浜(現在の大洗町)に生まれた桜井雪館(1715-1790)は、雪舟に私淑し、江戸に出て画塾を開き、門弟は2百余人を数えたという。雪館の父・桜井担も画をよくし、祖父も画家で、師の桜井才次郎忠重は、徳川 ...
2024/12/11
江戸時代中期の浮世絵師・磯田湖龍斎(1735-不明)は、土浦藩土屋家の藩士だったが、浪人となり、その後浮世絵師に転身したとされる。雅号の「湖」は霞ヶ浦にちなんだものだとする説があり、湖畔に生まれ、土屋 ...
2021/7/6
東皐心越(1639-1695)は、明末曹洞宗の禅僧で、延宝5年、政治的混乱を避けて長崎に来航し、長崎興聖寺の明僧・澄一の招請を受けて同寺に住んだが、清の密偵との嫌疑を受けて監禁された。水戸光圀はその釈 ...
2021/7/6
水戸藩の御用絵師をつとめた狩野派には、紀州藩狩野派の祖である狩野興以の二男・狩野興也、町狩野的な狩野凉岷、および狩野惟信の高弟・山内養春のほぼ3つの系統があった。 参考:狩野興以にはじまる紀伊狩野の系 ...
2021/7/6
性安(不明-不明)は、雪村と関係の深い常陸国太田村(現在の常陸太田市)の耕山寺の僧で、江戸期の画譜類には祥啓に学ぶとあるだけで、詳しい経歴は分かっていない。 性安の作品は図1の「蟹図」が知られるのみだ ...
2021/7/6
祥啓の門弟のひとりに、建長寺の僧となり、のちに常州水戸に住んだ長柳斎(不明-不明)がいる。最初の画史といわれる『丹青若木集』によると、祥啓とその周辺の系譜のなかで、可卜(長柳斎)と性安の名があげられて ...
2021/7/6
祥啓(不明-不明)の出自については不明な点が多く、生まれは真壁郡下館(現在の筑西市)とも常陸小田(現在のつくば市)ともされ、野州宇都宮の画家丸良氏の子として、現在の栃木県宇都宮市に生まれたという説もあ ...
2021/7/6
福島県内における初めての洋風画家としては、須賀川出身の亜欧堂田善がいる。白河藩主・松平定信に認められ、谷文晁に師事し、実用的銅版画を完成させた。明治期に入ると、高橋由一が三島通庸の依頼で、福島県新道景 ...
2024/12/11
関根正二(1899-1919)は、現在の白河市の茅葺き職人の二男として生まれ、8歳の時に東京の深川に転居した。深川では日本画家の伊東深水(1898-1972)と幼なじみで、深水が鏑木清方に入門して日本 ...