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江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
2021/7/6
左:牧島閑雲「孔子像」右:牧島閑雲「鍾馗之図」 牧島閑雲(1851-1942)は、栃木県梁田郡梁田宿(現在の足利市梁田町)に生まれ、9歳頃から館林藩の儒臣・田中泥斎に漢学を学んだ。22歳の時に田崎草雲 ...
2021/7/6
河野次郎「長野郊外」 河野次郎(1856-1934)は、足利藩の江戸藩邸に生まれ、明治時代最初期の美術教育者として師範学校の図画教員を長くつとめた。教え子には中村不折や結城素明らがいる。大正から昭和初 ...
2021/7/6
古田土雅堂「地下鉄の雑踏」 栃木県芳賀郡中川村(現在の茂木町)に生まれた古田土雅堂(1880-1954)は、上京して東京美術学校日本画科に学び、卒業して間もなくアメリカに渡った。シカゴで働きながら美術 ...
2021/7/6
清水登之「ニューヨーク、寄のチャイナタウン」栃木県立美術館蔵 清水登之(1887-1945)は、栃木県下都賀郡国府村(現在の栃木市)の大地主の家に生まれた。絵画好きの父の影響で、子どものころから絵に親 ...
2021/7/6
川島理一郎「ナポリよりポッツォリを望む」栃木県立美術館蔵 足利市に生まれた川島理一郎(1886-1971)は、幼いころから母の実家がある東京で育った。19歳のときにニューヨークで雑貨商を営む父を頼って ...
2024/12/11
左:橋本邦助「窓」、右:橋本邦助「帽子屋」 栃木町(現在の栃木市)の紙類商の家に生まれた橋本邦助(1884-1953)は、17歳で東京美術学校西洋画科選科に入学し黒田清輝に師事した。入学後の成績が優秀 ...
2024/12/11
青木繁「海の幸」重文(部分)漁師たちの行列のなかで、中央やや右のこちらを向く白い顔は、恋人・福田たねを描いたものとされている。青木繁の生涯と芸術において福田たねの存在の大きさを象徴している。 明治画壇 ...
2024/12/11
小杉放菴「立石寺」栃木県立美術館蔵 日光の神官の子として生まれた小杉放菴(1881-1964)は、15歳の時に中学校を中退し、日光に住んでいた初期洋画家の五百城文哉の内弟子となった。師の文哉は水戸出身 ...
2021/7/6
石川寒巌「松林図」栃木県立美術館蔵 栃木県黒羽町(現在の大田原市)に生まれた石川寒巌(1890-1936)は、早くから文学や美術に興味を持ち、19歳で上京、太平洋画会研究所で油彩画を学ぶとともに、佐竹 ...
2025/3/27
荒井寛方「蓮葉観音」栃木県立美術館蔵 栃木県氏家町(現在のさくら市)に生まれた荒井寛方(1878-1945)は、明治32年に上京し、浮世絵師・水野年方に入門、歴史画、風俗画を学んだ。同門には鏑木清方、 ...
2021/7/6
左:王欽古「蘭亭曲水図」右:王欽古「楳花書屋図」 京都の医師の家に生まれた王欽古(1830-1905)は、小田海僊に師事し、師の画風を受けて南画山水を得意とした。はじめは海雲と号していたが、のちに中国 ...
2024/12/11
小堀鞆音「恩賜の御衣」栃木県立美術館蔵 現在の佐野市に生まれた小堀鞆音(1864-1931)は、20歳頃に上京、土佐派の川崎千虎について歴史画を学んだ。明治25年には岡倉天心を会頭とする日本青年絵画協 ...
2021/7/6
島霞谷「子供灰神楽」 「近代洋画の父」と称される高橋由一(1828-1894)は、下野国佐野藩の江戸藩邸に生まれた栃木県ゆかりの画家だが、高橋家は定府だったため江戸住まいで、参勤交代で国元に帰ることも ...
2021/7/6
田崎草雲「山村団欒図」 江戸の足利藩邸に生まれた田崎草雲(1815-1898)は、幼いころから親戚の金井烏洲に画を学び、その後川崎の隠士・加藤梅翁に入門し、四条派のほか和歌や俳句を学んだ。20歳の時に ...
2021/7/6
牧野牧陵「田植・収穫図」 牧野牧陵(1805-1884)は、烏山仲町(現在の那須烏山市)のキザミ煙草屋「馬門屋」の二男として生まれ、26歳の時に絵師を志して喜連川藩御用絵師の津村雨林に師事、喜連川(現 ...
2021/7/6
高久靄厓「山水図」東京国立博物館蔵画像提供:東京国立博物館研究情報アーカイブズ 高久靄厓(1796-1843)は、寛政8年、奥州街道筋の杉渡戸(現在の栃木県那須塩原市黒磯)に生まれた。家は貧しかったが ...
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