yuagariart

江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま滋賀県を探索中。

京都画壇で学んだ飛騨の日本画家

2022/8/16  

玉舎春輝「アイヌ村落図」 飛騨に生まれて京都画壇で修業した日本画家のうち、塩川文麟に師事した垣内右嶙・垣内雲嶙父子は、のちに金沢に移り金沢画壇で活躍した。山元春挙に師事した玉舎春輝は春挙・栖鳳門下を中 ...

京都画壇で学んだ美濃の日本画家

2022/8/16  

西尾楚江「徳音寺雪景」 明治中期、全盛を誇った南画が衰退しはじめ、岐阜で画を志すものの多くは京都画壇を目指すようになった。岐阜の若者たちは、京都で画塾に入ったり、内弟子になったりして画の道を歩きはじめ ...

山本芳翠と洋風絵画

2024/4/25  

山本芳翠「浦島」 文明開化の新時代に入って南画と並んで盛り上がりをみせたのは洋風絵画だった。山本芳翠(1850-1906)は岐阜県恵那郡明知村に生まれ、京都で久保田雪江に南画を学んだが、明治初期に洋画 ...

飛騨の南画家

2022/8/16  

飛騨の学問は、国学に田中大秀、儒学・漢学に赤田臥牛がいたが、中心になっていたのは門下生も多い田中大秀の国学だった。そうしたこともあってか、美濃に比べると南画を志すものが少なく、主な南画家は貫名海屋に学 ...

飛騨ゆかりの初期画人

2023/8/2  

左:三熊思孝「芳野桜図」右:三熊思孝「奈良桜図」 金森長近が高山の城下町を京都に模して整備して以来、飛騨の人たちにとって京都文化は身近な存在で、高山や古川の祭り屋台にも京風文化がみられる。江戸中期に飛 ...

飛騨における和漢両学の大家、田中大秀と赤田臥牛

2021/7/10  

江戸中期になると、飛騨の町人の生活水準はあがり、富裕な町人や旦那衆にとっても学問は教養として必要なものとなった。当時の高山には国学と和歌に田中大秀(1777-1847)、儒学と漢学に赤田臥牛(1747 ...

飛騨の匠から彫刻家へ、飛騨一刀彫りの祖・平田亮朝

2021/7/10  

天才と称された谷口与鹿のほかにも、飛騨からは多くの名人、名工が出ている。飛騨の匠の中興の祖・藤原宗安の末裔だと伝わっている水間相模、京都東本願寺の御影堂を建てた石田春皐をはじめ、村山、谷口、遠藤、土村 ...

不世出の天才と称された屋台彫刻の谷口与鹿

2021/7/10  

江戸中期になると、建築・彫刻分野で名工、名人が登場する。松田太右衛門は、高山及び近在の寺院建築に腕をふるい、門下から優秀な人材を輩出した。太右衛門の技は師弟相伝で受け継がれ、弟子に東雲勘四郎、今井庄兵 ...

飛騨の匠・伝説の画人

2021/7/10  

豊かな森林に恵まれた飛騨では古くから木工が盛んで、飛騨の匠(たくみ)と呼ばれる大工や木工師が全国各地の宮殿や寺院の建立に携わった。「飛騨の匠」にまつわる伝説は多く、歴史に名が残っている最初の画家といわ ...

明治期の美濃の南画家

2022/8/15  

明治に入っても南画の流行はやまず、第一世代の子や弟子を含め多くの南画家たちが活躍した。明治15年に東京で開かれた絵画共進会には中国南宗派として岐阜県からも多くの入選者を出している。しかし、全国的傾向と ...

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