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現存する最古のねぷた絵を描いた小島左近

小島左近「太鼓」

弘前のねぷた祭は、毎年8月1日から一週間に渡って繰り広げられる青森を代表する夏祭りで、扇型の「扇ねぷた」や人形型の「組ねぷた」を押したて、日没とともに目抜き通りを練り歩く。各ねぷたには、絵師たちが腕をふるった鏡絵(前面の絵)や見送り絵(後面の絵)が描かれ、光によって大画面に照らしだされた絵画が、闇を背景にその出来を競い合うように行進する。

絵師たちが腕を競い、祭を彩った「ねぷた絵」だが、祭の最終日に行なわれる「ねぷた流し」によって、その年に作られたねぷたは川に流されるため、原則として残っておらず、現存する最古のねぷた絵は、幕末の弘前藩士・小島左近(1824-1868)が戦場で描いた「額絵」5点とされる。

作者である小島左近は、弘前藩に藩士としてつとめ、絵もよくしたと伝わっているが、明治元年に弘前藩と南部藩が交戦した戊辰野辺地戦争に中隊長として従軍し、観音林付近で戦死している。この額絵は、戦場の陣中で城下を偲んで描いたものとされ、すでに色あせているが、赤、黄、緑などの染料が認められる。戦死した左近は馬門の鳥井平に葬られ、また、その時にかぶっていた鉢金は、南部藩士によって野辺地町の八幡宮に納められている。

小島左近(1824-1868)こじま・さこん
文政7年生まれ。幕末の弘前藩士。伊藤善兵衛助元の第四子。幼名は嘉次郎、通称は貞邦、小島嘉兵衛貞勝の婿養子となり、小島姓を名乗った。別号に南斎、眠虎跳龍がある。安政2年野内町奉行。文久2年箱館警備を命ぜられた。絵は松山雲章に学んだというが、南画風の絵と浮世絵の影響を受けた彩色画が残されている。明治元年、45歳で死去した。

青森(13)-画人伝・INDEX

文献:青森県史 文化財編 美術工芸、津軽の絵師、津軽の美術史、津軽の華 弘前大学所蔵ねぷた絵全作品




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