三河国で生まれた菅江真澄(1754-1829)は、30歳の時に故郷を離れ、信濃、越後、蝦夷地、下北、津軽、秋田と歩き、その人生の大半を旅に暮らした。はじめは白井英二、秀超、秀雄などと称していたが、48歳で秋田に入ってからは「菅江真澄」と名乗るようになり、76歳で没するまでの28年間を秋田で過ごした。
その長い旅のなかで得た見聞や体験は、日記や地誌、随筆、図絵集などにまとめられており、その数は200冊以上に及び、当時の生活の様子を知ることができる貴重な資料となっている。そのうち秋田藩校明徳館に納められた『菅江真澄遊覧記』89冊は国の重要文化財に指定されている。
菅江真澄(1754-1829)すがえ・ますみ
宝暦4年生まれ。国学者。三河の人。本名は白井秀雄。植田義方に国学を学んだ。天明3年に三河を出て信濃、越後、秋田、津軽、南部、蝦夷地を遊歴。各地で、和歌に挿絵を添えた数多くの紀行を著している。著作としては、日記(『菅江真澄全集』第1巻~第4巻)、勝地臨毫〔雄勝・秋田・河辺〕(第5巻)、地誌(第6巻~第8巻)、民俗資料(第9巻)、雑掌編(第11巻~第12巻)がある。文政12年、76歳で死去した。
秋田(16)-画人伝・INDEX
参考:「小雄鹿図」西宮四壁の画に菅江真澄が歌を添えている
参考:蝦夷地を訪れてアイヌ風俗を記録した菅江真澄と小林豊章
文献:秋田県立博物館収蔵資料目録、秋田書画人伝