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人生の大半を旅に暮らし各地で得た見聞や体験を日記や地誌に描き残した菅江真澄

『菅江真澄遊覧記』5-18 牡鹿の寒風(文化7年7月から翌正月までの日記)この日記には、男鹿大地震の様子が記録されている。正月は宮沢(若美町)で迎え、なまはげの様子を説明している。

三河国で生まれた菅江真澄(1754-1829)は、30歳の時に故郷を離れ、信濃、越後、蝦夷地、下北、津軽、秋田と歩き、その人生の大半を旅に暮らした。はじめは白井英二、秀超、秀雄などと称していたが、48歳で秋田に入ってからは「菅江真澄」と名乗るようになり、76歳で没するまでの28年間を秋田で過ごした。

その長い旅のなかで得た見聞や体験は、日記や地誌、随筆、図絵集などにまとめられており、その数は200冊以上に及び、当時の生活の様子を知ることができる貴重な資料となっている。そのうち秋田藩校明徳館に納められた『菅江真澄遊覧記』89冊は国の重要文化財に指定されている。

『菅江真澄遊覧記』5-16 比遠能牟良君(文化7年正月の日記)
五城目の正月行事を取材し、八郎潟での氷下曳網漁業の様子を解説している。氷下曳網漁業は、凍結した氷の下に網をくぐらせて行なう漁法で、寛政年間に諏訪湖から移入されたとされる。

菅江真澄(1754-1829)すがえ・ますみ
宝暦4年生まれ。国学者。三河の人。本名は白井秀雄。植田義方に国学を学んだ。天明3年に三河を出て信濃、越後、秋田、津軽、南部、蝦夷地を遊歴。各地で、和歌に挿絵を添えた数多くの紀行を著している。著作としては、日記(『菅江真澄全集』第1巻~第4巻)、勝地臨毫〔雄勝・秋田・河辺〕(第5巻)、地誌(第6巻~第8巻)、民俗資料(第9巻)、雑掌編(第11巻~第12巻)がある。文政12年、76歳で死去した。

秋田(16)-画人伝・INDEX

参考:「小雄鹿図」西宮四壁の画に菅江真澄が歌を添えている
参考:蝦夷地を訪れてアイヌ風俗を記録した菅江真澄と小林豊章

文献:秋田県立博物館収蔵資料目録、秋田書画人伝




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