UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま東北地方を探索中。

「学者・研究者」 一覧

日本初の株式会社の設立を画策して毒殺された北斎門下の洋学者・本間北曜

酒田の本間家分家に生まれた本間北曜は、天保13年、出羽矢島藩の小番郡八の養子となり藩主に従って江戸へ上るが、翌年出奔して離縁になった。この頃、小石川巣鴨の根付師・山口友親(初代竹陽斎)ついて彫刻を学び ...

人生の大半を旅に暮らし各地で得た見聞や体験を日記や地誌に描き残した菅江真澄

三河国で生まれた菅江真澄(1754-1829)は、30歳の時に故郷を離れ、信濃、越後、蝦夷地、下北、津軽、秋田と歩き、その人生の大半を旅に暮らした。はじめは白井英二、秀超、秀雄などと称していたが、48 ...

秋田蘭画の誕生と平賀源内

江戸中期になると、蘭学と密接に結びついた和洋折衷の洋風画が、長崎、京坂、江戸、須賀川、秋田など各地で展開されるようになった。そのなかでも、秋田藩士・藩主らによって形成された「秋田蘭画」は、江戸系初期洋 ...

近世最大の鳥類図譜『堀田禽譜』を編さんした堀田正敦

仙台藩六代藩主・伊達宗村の八男として仙台に生まれた堀田正敦は、近江の堅田藩主・堀田正富の養子となり、その後佐野に国替えとなり、佐野藩主をつとめた。また、幕府では若年寄を42年間つとめ、老中松平定信を補 ...

仙台藩御用絵師から学者に転身した佐久間洞巌

仙台藩御用絵師を代々つとめていた佐久間家の四代目・佐久間洞巌は、元禄4年1月に仙台城二の丸の奥方造営に参加し、御用絵師として順調なスタートを切ったかにみえたが、前年に従者を無断で城内に遣わし絵を描かせ ...

北方防衛を生涯の仕事とした儒者・大原呑響

大原呑響(1761頃-1810)は、北方問題に生涯を捧げた儒者であり、画人としても優れた作品を残し、蠣崎波響や大原呑舟らを育てている。画において特定の師はいなかったようで、「書は張瑞図が法を慕い」と伝 ...

津軽各地の情景を描いた儒者・百川学庵

儒者の家系に生まれた百川学庵(1799-1849)は、儒学、詩文にすぐれ、画は江戸で谷文晁に学んだ。学庵の父親・百川玉川は、江戸で太田錦城に学び、21歳で藩校稽古館の助教授になった優れた儒者だったが、 ...

蝦夷地を訪れてアイヌ風俗を記録した菅江真澄と小林豊章

アイヌ風俗の記録としては、絵師によるアイヌ絵だけではなく、菅江真澄のように旅行者が旅先の光景を描き留めたり、蝦夷地を訪れて「蝦夷草木図」を著した小林豊章のように、幕命によって蝦夷地調査に関わったものも ...

幕末三大本草学者のひとり・宇佐の賀来飛霞

本草学とは、中国医学に付属した薬物学で、薬を自然界から入手する以外に方法がなかった時代に、自然界で何が薬として利用できるのかを研究する学問である。奈良時代以前に中国から伝えられたとされ、当初は中国の本 ...

近世日本最大規模の私塾・咸宜園を開いた日田の広瀬淡窓

日田豆田魚町の商家に生まれた広瀬淡窓は、幼いころから漢学・漢詩を学び、24歳の時に家督を弟に譲り、寺の学寮を借りて塾を開いた。塾は移転し、名を「成章舎」「桂林園」と変え、文化14年には、叔父・月化の隠 ...

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