南蘋派の画人として知られる宇都宮藩2代藩主・戸田忠翰(1761-1823)は、江戸に生まれ、38歳で家督を継ぎ、文化6年まで藩主をつとめた。寺社奉行や大阪城代、京都所司代など幕府の要職をつとめた父の忠寛とは異なり、出世欲に乏しく、加えて生来病弱だったため、その生涯における治世上の実績は少ない。
画人としては勢力的に活動していたようで、江戸で南蘋派の画人・森蘭斎に師事し、現在まで30以上の作品が確認されている。ただ、そのほとんどが江戸参勤中に描かれたものと思われ、下野に南蘋派を広める役割を果たしたとはいえない。舶載の鳥を多く飼育していたといわれており、同じ南蘋派画人で伊勢長島藩主・増山雪斎(1754-1819)の賛が入った作品も確認されていることから、ともに文雅と珍禽を愛した二人の大名の交流が指摘されている。
参考:増山雪斎と桑名の画人
戸田忠翰(1761-1823)とだ・ただなか
宝暦11年江戸生まれ。下野国宇都宮藩2代藩主。戸田忠寛の長男。字は含英、蘭徳斎と号した。寛政10年、38歳の時に父の隠居により家督を継いだ。藩政に関しては相次ぐ移封などで財政難で治世での業績には乏しい。森蘭斎に師事し南蘋風の絵をよくした。文政6年、63歳で死去した。
栃木(10)-画人伝・INDEX
文献:百花繚乱列島 江戸諸国絵師めぐり、栃木県立博物館門収蔵資料目録