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UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

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橋本明治ら島根出身の現代日本画家

2024/12/11  

昭和期に活躍した島根県出身の現代日本画家としては、まず橋本明治(1904-1991)が挙げられる。太い線描、明快な色彩を用いた橋本様式と呼ばれる独自の作風を展開し、日展で活躍、文化勲章を受章している。 ...

平田ゆかりの日本画家、小村大雲と落合朗風

2021/7/9  

出雲市平田出身の小村大雲(1883-1938)は、山元春挙の画塾・早苗塾門下生の四天王と称され、帝展委員などをつとめた。作域は広く、山水、人物、動物など多岐に渡ったが、なかでも綿密な時代考証による歴史 ...

島根を代表する近代南画家、西晴雲と木村棲雲

2021/7/9  

島根を代表する明治期の南画家としては、西晴雲(1881-1963)と木村棲雲(1885-1967)が挙げられる。西晴雲は、上京して吉嗣拝山に南画を学んだが、当時の南画界の動向に不信を抱き、中国画壇に可 ...

早世した逸材・中原芳煙と中央画壇を離れた竹田霞村

2021/7/9  

邑智郡都賀行村(現島根県美郷町)生まれの中原芳煙(1875-1915)は、東京美術学校日本画科を首席で卒業し、将来を嘱望されながらも病を得て帰郷、中央画壇に戻ることを望みながらも39歳で早世した。また ...

田中頼璋と島根出身で川端玉章に学んだ日本画家

2025/3/27  

明治期になると、東京に出て学ぶ島根県出身の日本画家も多く出てくる。田中頼璋(1868-1940)は、はじめ萩に出て森寛斎に学んだが、のちに上京して川端玉章に師事した。明治・大正期を中心に活躍し、川端画 ...

天野嗽石と松江の門人

2021/7/9  

松江に住んでいた天野嗽石(1837-不明)は、小田海僊の門人・近藤桃江に師事し、のちに金子雪操に学んだ。京都、山陽、四国、九州などを遊歴し、四国松山にも一時住んだとされるが、没地などは不明である。松江 ...

備中から移り住み画塾を開いた塩田銕香と出雲の門人

2024/12/21  

備中(岡山県)に生まれた塩田銕香(1850-1889)は、26歳の時に出雲を訪れて以来、この地に住み、画塾を開いて画技の指導をした。このため出雲市近辺では絵画に対する眼識を開いた人が多くなったといわれ ...

出雲地方に南画鑑賞の土壌を培った田能村直入と出雲の門人

2021/7/9  

江戸後期になると、出雲・石見地方でも文人趣味の機運が起こり、この地を訪れる南画家を歓心を持って迎え、揮毫を依頼したり、漢詩や南画の指導を受けたりした。尾張の南画家・中林竹溪(1816-1867)は、天 ...

出雲を訪れた風外禅師に学んだ横山雲南(黄仲祥)

2021/7/9  

出雲地方には白隠慧鶴禅師(1685-1768)の筆による書画がいくつか伝来している。松江市の天倫寺に伝わる「出山釈迦図」「大応・大燈・関山国師図」などで、いずれも白隠の法脈を持って請来されたものと考え ...

津和野藩御用絵師・大島松溪と藩主亀井家

2021/7/9  

津和野藩御用絵師・大島松溪(1758-1846)は津和野に生まれ、亀井矩貞・矩賢・茲尚の三代の藩主に仕えた。豪放な人柄で、あふれ出る才能は神がかり的だったとも伝わっている。常に大作を心掛け、彫刻も巧み ...

石見の南蘋派・三浦紫えんと門人

2021/7/9  

石見地方の南蘋派としては、津和野藩士の三浦南溪・紫☆親子がいる。父の南溪は江戸に南蘋派を広めた宋紫石に学び、藩の御用絵師をつとめた。子の紫☆(「☆」は「田」+「宛」、以下同様)は、父の没後に宋紫山に入 ...

渡辺崋山と密接に交遊した津和野藩家老・多胡逸斎

2023/7/24  

津和野藩家老・多胡逸斎(1802-1857)は、博識で内外の情報に通じ、藩政においても手腕を発揮、天保の飢饉に際しても藩内は難を逃れたという。書画においても、多くの著名南画家たちと交遊し、名を高めた。 ...

駿河台狩野に学んだ津和野藩御用絵師・岡野家六代

2021/7/9  

岡野洞淵(不明-1759)は駿河台狩野の開祖・狩野洞雲益信の門人だったが、津和野藩主・亀井氏のお抱え絵師となり、その後岡野家は六代に渡って津和野藩に仕えた。第三代の岡野洞山美高(1770-1856)は ...

四条派を学んだ上代英彦と出雲の門人

2021/7/9  

上代英彦(1819-1883)は5年間堀江友声に学んだのち、京都に出て四条派の岡本豊彦に師事した。田能村直入、中西耕石らと交友し研鑽を積んだが、病弱だったため帰郷し、晩年は大東町で過ごした。出雲の門人 ...

諸国を遊歴し多くの門人を残した堀江友声

2021/7/9  

大原郡大東町に生まれた堀江友声(1802-1873)は、14歳の時に松江に住んでいた狩野派の竹内衡山に入門、衡山の没後は京都に出て狩野派の山本探淵に師事した。また、宋・元・明の諸名家の筆法を研究すると ...

母里藩御用絵師・長塩雪山と安来の門人

2021/7/9  

松江藩の支藩である母里藩の御用絵師をつとめた長塩雪山(1774-1833)は京都に生まれたが、安来の医師・原氏方に寄宿していた父の近江屋太右衛門を慕い安来に移り住んだところ、原氏の推薦で母里藩の御用絵 ...

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昭和59年(1984)、田中一村(1908-1977)が奄美大島で没して7年後、NHK教育テレビ「日曜美術館」で「黒潮の画譜~異端の画家・田中一村~」と題して一村の画業が紹介され、大きな反響を呼んだ。 ...

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室町水墨画の最高峰・雪舟

岡山の画家として最初に名前が出るのは、室町水墨画壇の最高峰に位置する雪舟等楊(1420-1506)である。狩野永納によって編纂された『本朝画史』によると、雪舟の生誕地は備中赤浜(現在の総社市赤浜)で、 ...

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