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UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

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明治風俗の琉球美人を形成した友寄喜恒(恵克昌)

2024/12/11  

最後の琉球国王・尚泰王の時代に活躍した友寄喜恒(恵克昌)は、明治風俗における琉球美人を形成したといわれている。末吉安恭の『琉球画人伝』によると、それまでの沖縄女性は、根をつめて結う髪型をしていたが、友 ...

石垣島で活躍した画家で芸能家・久場島清輝

2021/7/6  

王朝末期から大正にかけて石垣島で活躍した久場島清輝(1864-1920)は、画家であり、芸能家でもあった。若いころ沖縄で役者をしていて、芝居の巡業で石垣島に渡り、民間の絵師として桃林寺の「十王図」の一 ...

琉球王国解体後も長く活動した長嶺宗恭(孟有文)

2021/7/6  

1875(明治8)年に王府最後の絵師登用試験があり、安仁屋政伊(東承徳)と長嶺宗恭(孟有文)は、これに合格して王府の絵師となったが、4年後の廃琉置県によって琉球藩が廃止されて沖縄県になったため、失職し ...

西洋画の技法も取り入れた元王府絵師・仲宗根真補(査丕烈)

2021/7/6  

1879(明治12)年の沖縄県設置を経て、琉球王国は解体された。王国が崩壊すると、それまで王府につとめていた絵師たちは失業し、在野の絵師として生きていかなくてはならなくなった。佐渡山安健(毛長禧)のあ ...

八重山蔵元絵師・喜友名安信(毛裔氏安信)

2021/7/6  

首里王府時代、久米島、宮古島、八重山の離島には「蔵元」とよばれる王府の出先機関があり、絵師たちはその蔵元に勤務し、さまざまな仕事をこなしていた。主な業務としては、蔵元館内の視察の際の記録、異国舶来航の ...

丸木位里・俊が描いた「沖縄戦の図」

2021/7/6  

1974(昭和49)年、沖縄県は世界の恒久平和と全沖縄戦没者の霊を慰めることを目的に、6月23日を「慰霊の日」と制定した。ただ、この日は沖縄戦が終結した日ではなく、南西諸島防衛のために陸軍に創設された ...

我謝盛保(毛世輝)をはじめとした南宗画の流れを汲む絵師

2021/7/6  

王朝末期になると、以前のような華やかな画風は影をひそめ、我謝盛保(毛世輝)、豊平良全(馬執宏)ら南宗画の流れを汲む画家たちが出てくる。さらに、廃藩置県後の沖縄は社会的に混乱し、庶民の生活も苦しくなり、 ...

琉球王国最後の宮廷画家・佐渡山安健(毛長禧)

2021/7/6  

佐渡山安健(毛長禧)は、王朝時代最後の絵師として活躍した。父の佐渡山安懿(毛光山)は三司官毛光国佐渡山親方安春の弟で、書家であり漢学者だった。名門の子として生まれた安健は、幼いころから当時の画家の第一 ...

葛飾北斎が描いた「琉球八景」

2024/12/11  

15世紀初めに誕生した琉球王国は、中国との冊封関係の中で独自の文化を育んできたが、1609(慶長14)年にあった薩摩藩の琉球侵攻により幕藩体制に組み込まれることとなり、徳川将軍や琉球国王の代替わりのた ...

風俗画を得意とした泉川寛英(慎思九)と泉川寛道(慎克熙)

2021/7/6  

琉球文化の黄金期といわれた18世紀は、琉球絵画の全盛期でもあり、中国に留学した絵師たちが活躍した。彼ら王府の絵師たちが描き続けたのは、中国の画題による山水、花鳥、人物などが中心で、琉球独自の風物や風俗 ...

歴代画家の最高位である紫官に叙せられた小橋川朝安(向元瑚)

2021/7/6  

小橋川朝安(向元瑚)は首里に生まれ、幼いころから屋慶名政賀に師事して絵画を学び、尚穆王時代の1767年に19歳で絵師として採用されて王府に勤務した。1797年以後に使者として中国に渡っており、その時に ...

座間味庸昌の後継者・屋慶名政賀(呉著温)

2021/7/6  

屋慶名政賀(呉著温)は、首里に生まれ、幼いころから画家を志し、座間味庸昌(殷元良)に学び、22歳で貝摺奉行所の絵師となった。師の庸昌は、宮廷画家として王宮御用の鑑賞絵画を描いていたが、政賀の所属する貝 ...

琉球文化の黄金期を代表する宮廷画家・座間味庸昌(殷元良)

2021/7/6  

座間味庸昌(殷元良)は、琉球絵画を代表する宮廷画家の一人である。庸昌の時代は、琉球文化の黄金期といわれ、現在に伝わる沖縄の伝統文化のほとんどがこの時期に培われた。劇作家の玉城朝薫、文学者の平敷屋朝敏、 ...

孫億に学んだ宮廷画家・山口宗季(呉師虔)

2021/7/6  

石嶺伝莫、上原真知に継いで、第二次派遣として1704年に福建省福州に留学したのが宮廷画家の山口宗季(1672-1743)である。福建省に滞在中は、中国伝統の写生画法を学び、4年間の留学を終えて帰国、そ ...

琉球絵師を指導した福建画壇の画家・孫億

2021/7/6  

17世紀後半から18世紀にかけて、琉球王府は、貝摺奉行所の絵師を薩摩藩や中国の福建省福州に派遣し、現地の画家から直接指導を受けさせた。中国に絵画留学した初の琉球絵師は、石嶺伝莫(1658-1703)と ...

琉球絵師として最初に名を残した自了(城間清豊)

2021/7/6  

琉球絵画は、13世紀に伝来した仏教文化に刺激を受けて発達したと考えられている。王国時代には、王府の行政機構に「貝摺奉行所」という部署があり、ここに絵師も所属して、漆器や着物の図案、室内装飾に携わってい ...

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昭和59年(1984)、田中一村(1908-1977)が奄美大島で没して7年後、NHK教育テレビ「日曜美術館」で「黒潮の画譜~異端の画家・田中一村~」と題して一村の画業が紹介され、大きな反響を呼んだ。 ...

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横山大観(1868-1958)は、明治元年水戸藩士の子として現在の茨城県水戸市に生まれた。10歳の時に一家で上京し、湯島小学校に転入、つづいて東京府小学校に通った。同校卒業後は私立の東京英語学校に進学 ...

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室町水墨画の最高峰・雪舟

岡山の画家として最初に名前が出るのは、室町水墨画壇の最高峰に位置する雪舟等楊(1420-1506)である。狩野永納によって編纂された『本朝画史』によると、雪舟の生誕地は備中赤浜(現在の総社市赤浜)で、 ...

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