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UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

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全国各地を放浪のすえ佐野に定住した南画家・王欽古

2021/7/6  

京都の医師の家に生まれた王欽古(1830-1905)は、小田海僊に師事し、師の画風を受けて南画山水を得意とした。はじめは海雲と号していたが、のちに中国の士大夫をきどって王欽古と号したという。江戸に出て ...

近代歴史画の父・小堀鞆音

2024/12/11  

現在の佐野市に生まれた小堀鞆音(1864-1931)は、20歳頃に上京、土佐派の川崎千虎について歴史画を学んだ。明治25年には岡倉天心を会頭とする日本青年絵画協会に創立会員として参加。明治30年東京美 ...

幕末幻の油絵師・島霞谷

2021/7/6  

「近代洋画の父」と称される高橋由一(1828-1894)は、下野国佐野藩の江戸藩邸に生まれた栃木県ゆかりの画家だが、高橋家は定府だったため江戸住まいで、参勤交代で国元に帰ることもなく、佐野に屋敷はなか ...

幕末明治を生きた俠気の南画家・田崎草雲

2021/7/6  

江戸の足利藩邸に生まれた田崎草雲(1815-1898)は、幼いころから親戚の金井烏洲に画を学び、その後川崎の隠士・加藤梅翁に入門し、四条派のほか和歌や俳句を学んだ。20歳の時に本格的に画を学ぶため足利 ...

喜連川藩御用絵師・牧野牧陵

2021/7/6  

牧野牧陵(1805-1884)は、烏山仲町(現在の那須烏山市)のキザミ煙草屋「馬門屋」の二男として生まれ、26歳の時に絵師を志して喜連川藩御用絵師の津村雨林に師事、喜連川(現在のさくら市)の牧野家の養 ...

文晁門四哲のひとりに数えられた高久靄厓

2021/7/6  

高久靄厓(1796-1843)は、寛政8年、奥州街道筋の杉渡戸(現在の栃木県那須塩原市黒磯)に生まれた。家は貧しかったが、幼いころから画を好み、7、8歳のころに自画自刻したという天神像の板木が伝わって ...

下野国栃木の豪商との親交のなかで肉筆画の代表作「雪月花」を描いた喜多川歌麿

2024/12/11  

美人画の大家として知られる浮世絵師・喜多川歌麿(1753?-1806)の肉筆画の大作「深川の雪」(掲載作品)が、平成24年(2012)2月、60余年ぶりに日本で発見され話題となった。「深川の雪」は、四 ...

下野の南蘋派・宇都宮藩主の戸田忠翰

2021/7/6  

南蘋派の画人として知られる宇都宮藩2代藩主・戸田忠翰(1761-1823)は、江戸に生まれ、38歳で家督を継ぎ、文化6年まで藩主をつとめた。寺社奉行や大阪城代、京都所司代など幕府の要職をつとめた父の忠 ...

谷文晁ら江戸の文人と交流し多彩な画事を展開した小泉斐

2021/7/6  

下野国益子の神官の子として生まれた小泉斐(1770-1854)は、幼いころから画を好み、11歳で茂木に出店していた近江商人の島崎雲圃に入門、雲圃の師である高田敬輔にも師事した。師の雲圃は商売柄、近江と ...

下野に鮎画を中心とした画風を伝えた近江商人・島崎雲圃

2021/7/6  

近江商人のなかには、本格的に画家として活動したものもおり、島崎雲圃(1730-1805)もそのひとりである。雲圃の先々代にあたる初代利兵衛は、近江商人の家に生まれ、商域を関東にも広げるため、元禄16年 ...

狩野派の絵をよくした佐野藩主・堀田正衡

2021/7/6  

下野の佐野藩六代藩主・堀田正敦(1758-1832)は、仙台藩主・伊達宗村の八男として生まれ、近江の堅田藩主・堀田正富の養子となり、天明6年に堅田藩主となった。文政9年に佐野に国替えとなり、以後明治4 ...

江戸狩野隆盛の礎を築いた狩野興以と下野の狩野派

2021/7/6  

下野国出身の狩野派の絵師としては、足利の生まれとされる(伊豆出身とする説もある)の狩野興以(1569-1636)がいる。興以は、狩野永徳の息子光信の門人で、桃山時代から江戸時代初期に活躍した。光信の弟 ...

日光山の絵事に携わったやまと絵住吉派二代・住吉具慶

2021/7/6  

日光東照宮の絵画御用には、狩野探幽、神田宗庭、木村了琢のほか、やまと絵住吉派の住吉具慶(1631-1705)も携わっている。具慶は、住吉派開祖の父・如慶を継いで住吉派二代目となり、徳川幕府の御用絵師を ...

日光山の絵仏師・神田宗庭と木村了琢

2021/7/6  

8世紀中頃に勝道上人によって開かれた霊地日光山には、多くの宗教的絵画が制作され奉納されたが、中世の絵師についての情報は極めて少ない。絵師たちがその名を残すようになるのは、江戸時代になり徳川家康を祀った ...

日光東照宮造営に携わり徳川家康像を描いた狩野探幽

2024/12/11  

元和2年、徳川家康(1543-1616)は駿府(現在の静岡市)で死去し、駿河久能山に葬られた。翌年、二代将軍秀忠によって日光山内に東照社(のちに東照宮)が造営され、家康は神(東照権現)として祀られた。 ...

宇都宮出身説がある関東水墨画を代表する画僧・祥啓

2021/7/6  

関東に本格的な水墨画をもたらした鎌倉五山建長寺の画僧・祥啓(不明-不明)は、はじめ同じ建長寺の仲安真康に学び、のちに京都に上り将軍家同朋の芸阿弥に師事した。その間、室町幕府所蔵の中国絵画の名品を模写し ...

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昭和59年(1984)、田中一村(1908-1977)が奄美大島で没して7年後、NHK教育テレビ「日曜美術館」で「黒潮の画譜~異端の画家・田中一村~」と題して一村の画業が紹介され、大きな反響を呼んだ。 ...

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横山大観(1868-1958)は、明治元年水戸藩士の子として現在の茨城県水戸市に生まれた。10歳の時に一家で上京し、湯島小学校に転入、つづいて東京府小学校に通った。同校卒業後は私立の東京英語学校に進学 ...

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北野恒富(1880-1947)は、金沢市に生まれ、小学校卒業後に新聞の版下を彫る彫刻師をしていたが、画家を志して17歳の時に大阪に出て、金沢出身で歌川派の流れを汲む浮世絵師・稲野年恒に師事し、師と同様 ...

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室町水墨画の最高峰・雪舟

岡山の画家として最初に名前が出るのは、室町水墨画壇の最高峰に位置する雪舟等楊(1420-1506)である。狩野永納によって編纂された『本朝画史』によると、雪舟の生誕地は備中赤浜(現在の総社市赤浜)で、 ...

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