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UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

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江戸狩野隆盛の礎を築いた狩野興以と下野の狩野派

2021/7/6  

下野国出身の狩野派の絵師としては、足利の生まれとされる(伊豆出身とする説もある)の狩野興以(1569-1636)がいる。興以は、狩野永徳の息子光信の門人で、桃山時代から江戸時代初期に活躍した。光信の弟 ...

日光山の絵事に携わったやまと絵住吉派二代・住吉具慶

2021/7/6  

日光東照宮の絵画御用には、狩野探幽、神田宗庭、木村了琢のほか、やまと絵住吉派の住吉具慶(1631-1705)も携わっている。具慶は、住吉派開祖の父・如慶を継いで住吉派二代目となり、徳川幕府の御用絵師を ...

日光山の絵仏師・神田宗庭と木村了琢

2021/7/6  

8世紀中頃に勝道上人によって開かれた霊地日光山には、多くの宗教的絵画が制作され奉納されたが、中世の絵師についての情報は極めて少ない。絵師たちがその名を残すようになるのは、江戸時代になり徳川家康を祀った ...

日光東照宮造営に携わり徳川家康像を描いた狩野探幽

2024/12/11  

元和2年、徳川家康(1543-1616)は駿府(現在の静岡市)で死去し、駿河久能山に葬られた。翌年、二代将軍秀忠によって日光山内に東照社(のちに東照宮)が造営され、家康は神(東照権現)として祀られた。 ...

宇都宮出身説がある関東水墨画を代表する画僧・祥啓

2021/7/6  

関東に本格的な水墨画をもたらした鎌倉五山建長寺の画僧・祥啓(不明-不明)は、はじめ同じ建長寺の仲安真康に学び、のちに京都に上り将軍家同朋の芸阿弥に師事した。その間、室町幕府所蔵の中国絵画の名品を模写し ...

狩野派の始祖・狩野正信と足利の武将画人・長尾一族

2021/7/6  

栃木県足利市の長林寺には、狩野派の始祖・狩野正信(1434?-1530?)の筆による「観瀑図」(掲載作品)が伝わっている。長林寺は、館林から転じて足利長尾氏の初代となった但馬守景人によって文安5年に開 ...

水彩画家として初めて日本芸術院会員となった小堀進

2021/7/6  

日本の水彩画は、幕末の安政年間にイギリスから来日したチャールズ・ワーグマンが、高橋由一や五姓田義松らに水彩技法を伝えたことに始まるが、当時の水彩画は、あくまでも油彩画の修練としてとらえられていた。その ...

ムンクから影響を受け版画制作をはじめた永瀬義郎

2025/3/27  

明治末期から大正期にかけて起こった「創作版画運動」の代表的作家のひとりに、茨城県出身の永瀬義郎(1891-1978)がいる。創作版画運動とは、それまでの伝統的木版画制作の工程が、絵師、彫師、摺師の三者 ...

宮本三郎らと二紀会を創立した栗原信

2021/7/6  

茨城県茨城町に生まれた栗原信(1894-1966)は、戦後宮本三郎らとともに二紀会を創立した画家として知られている。茨城師範学校を卒業後に教鞭をとりながら制作を続けていた栗原は、大正5年に二科展に初入 ...

欧州からの帰国後に東光会を創立、多くの後進を育成した熊岡美彦

2024/12/11  

  熊岡美彦(1889-1944)は、茨城県の石岡に生まれた。生家は地元の素封家で、製糸業を営んでいた。石岡第一尋常小学校在学中は地元の南画家・鬼沢小蘭に学び、土浦中学校卒業後は東京美術学校西洋画科予 ...

文展で「山羊の画家」として注目され、のちに風景画のスタイルを確立させた辻永

2021/7/6  

中村彝とほぼ同世代で、文展、帝展で活躍した茨城ゆかりの画家に辻永(1884-1974)がいる。辻は広島の生まれで、父の転勤の関係で生後7ケ月で水戸に移った。中村彝より3歳年長で、同じ旧制水戸中学校に通 ...

すぐれた肖像画を残し夭折した中村彝

2024/12/11  

中村彝(1887-1924)は、明治20年に茨城県仙波村(現在の水戸市)に生まれた。生家は代々徳川家に仕えた旧士族の名家で、祖父の三五右衛門は、藤田東湖の『回天詩史』にも掲載されている。明治31年、1 ...

在野精神を貫き、日本美術院を脱退して新興美術院を結成した小林巣居人

2021/7/6  

茨城県稲敷郡長戸村(現在の龍ケ崎市)の農家に生まれた小林巣居人(1897-1978)は、20歳の時に画家を志して稲敷郡牛久村に住んでいた小川芋銭を訪ねた。その際芋銭に上京を勧められたため、翌年、芋銭の ...

天心を五浦に案内し日本美術院の五浦時代の幕開けに関わった飛田周山

2021/7/6  

飛田周山(1877-1945)は、茨城県多賀郡大塚村(現在の北茨城市磯原町)に生まれ、16歳で上京、叔父である彫金家の海野美盛の書生となった。19歳の時に美盛の勧めもあり、当時東京に住んでいた京都の日 ...

天心、大観らと行動をともにし五浦に移住した木村武山

2024/12/11  

茨城県笠間市に生まれた木村武山(1876-1942)は、幼いころから画才に恵まれ、明治24年、岡倉天心(1863-1913)が校長をつとめていた東京美術学校に入学した。この時、3年先輩に横山大観(18 ...

新しい日本画を追求して近代日本画壇を牽引した横山大観

2024/12/14  

横山大観(1868-1958)は、明治元年水戸藩士の子として現在の茨城県水戸市に生まれた。10歳の時に一家で上京し、湯島小学校に転入、つづいて東京府小学校に通った。同校卒業後は私立の東京英語学校に進学 ...

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奄美大島に没した田中一村の話

昭和59年(1984)、田中一村(1908-1977)が奄美大島で没して7年後、NHK教育テレビ「日曜美術館」で「黒潮の画譜~異端の画家・田中一村~」と題して一村の画業が紹介され、大きな反響を呼んだ。 ...

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北野恒富(1880-1947)は、金沢市に生まれ、小学校卒業後に新聞の版下を彫る彫刻師をしていたが、画家を志して17歳の時に大阪に出て、金沢出身で歌川派の流れを汲む浮世絵師・稲野年恒に師事し、師と同様 ...

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室町水墨画の最高峰・雪舟

岡山の画家として最初に名前が出るのは、室町水墨画壇の最高峰に位置する雪舟等楊(1420-1506)である。狩野永納によって編纂された『本朝画史』によると、雪舟の生誕地は備中赤浜(現在の総社市赤浜)で、 ...

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