
高木葆翠「サッポロビール」ポスター
高木葆翠(1894-1947)は、福岡県に生まれ、実家が染物屋を営んでいたことから、幼いころから日本画に親しみ、のちに油絵に興味を持ち、19歳で上京して岡田三郎助に師事した。30歳まで岡田のもとで油彩を学んだが、ポスターを描いたところ評判となったため、以後はポスター画家として活動した。
現存するポスター原画は、すべてキャンパスに泥絵具で描かれており、精版印刷株式会社によって印刷されていることから、同社との関係が深かったと思われる。昭和7年、堤貞二(治)、木下繁登らとともに大阪商業図案家協会を結成し、展覧会活動にも積極的だったという。
高木葆翠(1894-1947)たかぎ・ほうすい
明治27年福岡県生まれ。実家は染物屋。19歳で上京し岡田三郎助に師事した。30歳頃からポスター画家となり、大阪市内に高木図案社を構えて弟子を10人ほど雇って活躍した。高木のポスターの描き方は、実際にモデルを使う場合と写真を見ながら描く場合、そしてまったく想像の3種類あったらしい。昭和7年堤貞二(治)、木下繁登らとともに大阪商業図案家協会を結成した。昭和22年、53歳で死去した。
→参考:UAG美人画研究室(高木葆翠)
堤貞二(治)(不明-不明)つつみ・ていじ?
陶器商だった父親の手伝いをしながら岡本大更の更彩画塾に通って画を学んだ。昭和4年「サンデー毎日」表紙画懸賞募集で3等に入賞。当時は大阪市内に堤アトリエを興し、自営していた。昭和7年高木葆翠、木下繁登らと大阪商業図案家協会を結成。ポスター作品としては、1920年代後半~30年代初めの「サクラビール」と「アサヒビール」が確認できる。
大阪(122)-画人伝・INDEX
文献:明治・大正・昭和初期日本ポスター史大図鑑