画人伝・大分 洋画家 静物画

吉田四代の祖・吉田嘉三郎と不同舎で学んだ大分出身の洋画家

吉田嘉三郎「海魚図」大分県立美術館蔵

中津市出身の吉田嘉三郎(1861-1894)は、彰技堂で洋画を学び、日本初の洋画美術団体・明治美術会の通常会員となるなど、活躍が期待されたが、33歳で没した。しかし、嘉三郎が福岡県立中学修猷館で教員をしていた時の教え子で、画才を見込んで養子とした吉田博(1876-1950)と、三女の実子・ふじを(1887-1987)は、ともに小山正太郎の開設した不同舎で学び、画家として名を馳せた。のちに、博とふじをは結婚し、長男の遠志(1911-1995)、二男の穂高(1926-1995)、さらにその子の亜世美(1958-)と吉田家は四代続いて多彩な画業を展開した。

吉田博と吉田ふじをが学んだ不同舎での同窓として、大分県からは中本保策、井上長太郎、木付敏夫、山田英雄、宇佐美喜惣治が学び、不同舎に学んだかどうかは不明だが佐藤平太郎が小山正太郎に師事している。さらに、明治美術会には、吉田嘉三郎、中本保策、井上長太郎に加えて、県下から吉武丈作、岡部昇丸、大矢廣、鶴清氣らが参加した。

しかし、明治中期までの大分県出身洋画家のなかで、近代日本洋画界に名を馳せ、その動向に深くかかわった人物を見出すことはできない。中央画壇で活躍し、県美術界の浮揚に大きく貢献した洋画家としては、明治末期の片多徳郎の出現を待たなければならない。

吉田嘉三郎(1861-1894)
文久元年中津市生まれ。幼いころから画を好み、はじめ晴野鴻洲について日本画を学び、のちに京都に出て田村宗立に師事して3年間洋画を学び、さらに上京して彰技堂に入った。明治14年第2回内国勧業博覧会に大分県内の多くの南画の出品者にまじって、ひとりだけ中津から油彩画を出品した。明治15年と17年の内国絵画共進会には日本画を2点ずつ出品している。明治22年福岡県立中学修猷館に助教授として赴任、図画を指導するとともに、「中学図画帳」をはじめ図画教科書の編纂に携わった。また、教え子だった博の画才を見込み、養子とした。そのころ旧黒田藩主に要請されて肖像画を描いているが作品の所在は不明である。明治23年頃から福岡県福岡市薬院養巴之町に居を定め、明治22年に創立された日本初の洋画美術団体である明治美術会の通常会員となるなど、活躍を期待されたが、明治27年、33歳で死去した。

吉田ふじを(1887-1987)
明治20年中津市生まれ。吉田嘉三郎の三女。本名は藤遠。画才を見込まれて吉田家に養子に入った義兄・博の指導のもと、幼いころから画を描きはじめ、11歳で不同舎に入り本格的に洋画技法を学んだ。明治36年、16歳の時に太平洋画会に水彩画11点を出品、この年の暮れに、描きためた水彩画を携えて博とともに渡米、各地で兄妹展を開催して好評を博し、その売り上げをもとに、二人でヨーロッパ・アフリカの各地を巡った。帰国後に博と結婚した。明治40年、第1回文展に20歳で入選、第4回文展では褒状を受けた。大正8年女流洋画団体・朱葉会の第1回展から参加し、のちに会長をつとめた。戦後は抽象的な油彩画を描いた。昭和62年、99歳で死去した。

中本保策(不明-不明)
現大分市の出身。大分県出身者のなかでは一番早く不同舎に入学した。中本の名前は明治美術会2回展、3回展に出てくるが、詳しい経歴は不明。

井上長太郎(1870-1951)
明治3年三佐生まれ。明治24年大分県尋常中学校を卒業、翌25年から2年間妙心寺派第一中学校で教師をつとめた。はじめ大分県尋常中学校と大分県尋常師範学校で助教授だった大矢廣について学び、その後不同舎で3年間洋画を研究した。明治30年大分県大分尋常中学校杵築分校に着任して、図画、習字および地理を教えた。その後、北海道、富山、佐賀などで教職につき、大正3年には宇佐郡立実科高等女学校の校長となったが、翌年退職、間もなく慶応義塾の講師となり地理を教えた。地理に関する多くの著書がある。昭和26年、81歳で死去した。

木付敏夫(1880-不明)
明治13年玖珠郡森町生まれ。明治32年頃に不同舎に入学した。

山田英雄(1887-不明)
明治20年速見郡立石町生まれ。明治34年立石高等小学校を卒業。明治36年立石高等小学校教師の高橋貫治について用器画法を学んだ。その後県内の展覧会に絵画を出品、当時大分県師範学校助教諭だった藤原美治郎(竹郷)からも絵の指導を受けた。また、鉛筆画を御園繁に学んだ。明治38年に不同舎に入学。

宇佐美喜惣治(不明-不明)
臼杵町生まれ。明治30年頃不同舎に入学。同じ臼杵出身の実業家・荘田平五郎が保証人となり、小石川区林町の荘田の家から通学していた。

佐藤平太郎(1880-不明)
明治絵13年直入郡岡本村生まれ。東京で図画教育に専念した。小山正太郎に師事したが、不同舎との関わりははっきりしない。

大分(34)-画人伝・INDEX

文献:大分県史(美術編)、大分県の美術、大分県文人画人辞典、大分県画人名鑑、大分県立芸術会館所蔵作品選




-画人伝・大分, 洋画家, 静物画

© 2024 UAG美術家研究所 Powered by AFFINGER5

Amazon プライム対象