落合ランは、宮崎県の女性洋画家で初めて帝展に入選し、宮崎の女性画家の草分けとされる。ランは、明治20年北方町曽木の名家に生まれ、延岡高等小学校を首席で卒業、16歳の時に上京して女子美術学校で学んだ。23歳の時に結婚し、青森など夫の任地で暮らしていたが、結婚生活がうまくいかず、宮崎高等女学校で美術教師として1年余りつとめたが、その後再び上京して、本郷絵画研究所で岡田三郎助の指導をうけ、昭和の初め、40歳の頃に帝展に宮崎の女性として初入選した。
落合ラン(1887-1938)
明治20年東臼杵郡北方町曽木生まれ。名は落合蘭子、または落合ラン子。父は菊池慶太郎、母はクマ。北方小学校から延岡小学校高等科を卒業。16歳の時に上京して女子美術学校入学した。のちに落合直文の経営する国語伝習所に入り、卒業後米国から帰国した田添雪江について擦筆画や油絵を学んだ。明治44年東京体育専門学校卒の教師・落合円次郎と結婚し、青森など夫の任地に暮らすが、性格的な違いなどから結婚生活はうまくいかず、やがて帰郷して宮崎高等女学校の美術教諭を1年余り勤めたが、円次郎の東京勤務を機に再び上京し、本郷洋画研究所で岡田三郎助の指導を受けた。昭和の初め、40歳の頃「花」が帝展に初入選した。その後は台湾から満州へと旅をしていたが、満州の旅先で長男が病に倒れたと知らされ帰国、看護の甲斐なく長男は死去し、ランも疲労が重なり病に伏せ、昭和13年、52歳で死去した。
宮崎(29)-画人伝・INDEX
文献:延岡先賢遺作集(下) 、宮崎近代美術創成期の美術家