UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま東北地方を探索中。

「鶴図」 一覧

最良の師を求めて次々と師を変えた須藤尚義

須藤尚義(1902-1956)は、明治35年田舎館村川部に生まれた。父は早くから尚義を画家にする考えがあり、尚義は小学校4年の時に東京の学校に転校した。東京での最初の師は村上委山で、ここには3年いて、 ...

弘前藩絵師・秦家

弘前藩のお抱え絵師をつとめた秦家の歴代絵師に関しては、現存する作品が少なく、画歴や作風も不明な点が多いが、初代以来幕末まで九代にわたって、国元で絵師をつとめた。藩庁日記などによると、寺社奉納の絵馬や扉 ...

延岡藩の御用絵師・佐藤周鱗斎

経歴や作品が残っている延岡藩の御用絵師として、最も早い時期に名前が出てくるのは佐藤周鱗斎(1776-不明)である。周鱗斎の持ち物だった『狩野家累世所用画法』から狩野派の画を学んだことがわかるが、その習 ...

高鍋藩御用絵師を代々世襲した安田家

高鍋藩では、安田義成(不明-1696)を初代とする安田家が、代々世襲で御用絵師をつとめた。初代義成は、木挽町狩野家の狩野尚信の門人だったが、高鍋藩二代藩主・秋月種春に招かれて寛文7年に高鍋にきた。それ ...

豊後南画の隆盛・田能村竹田の出現

田能村竹田(1777-1835)が正統南宗画法によって本格的に南画を描き始めた年には、すでに与謝蕪村、池大雅は没しており、南画では浦上玉堂、岡田米山人、青木木米らが作画を行なっていた。そこに、次世代と ...

豊前中津藩絵師・円山派の片山東籬

豊前中津藩では、円山派の絵師・片山九畹が、天明5年に「御絵師御茶之間詰」に任命されている。九畹は別号に東籬があり、東籬は片山家歴代龍名の号らしく、子の九皐もまた東籬と号した。九皐の子・藤憧も父に学び、 ...

近代熊本南画の嚆矢・佐々布篁石

江戸時代後期、熊本は時習館、再春館を擁し学問の府として知られ、熊本に学ぶべく各地から多くの文人墨客が訪れた。天明2年には佐竹蓬平が長崎から熊本に入り、文政元年には頼山陽、小田海僊、文政10年には田能村 ...

鳥取藩御用絵師・沖一峨と沖家

初代鳥取藩主・池田光仲は、寛文6年に木挽町狩野家の門人だった沖清信を江戸詰絵師として登用した。当時は江戸幕府の体制が整い、政情も落ち着き、各藩も幕府の職制にならって諸職を整備するようになっていた。沖家 ...

福山藩の狩野派、片山墨随斎守春・索準斎守規父子

幕府御用絵師の狩野派は、福山藩にも早くからもたらされ、明和・天明の頃に土屋索進斎(不明-不明)が出ている。索進斎は、福山城下深津町鉄屋に生まれ、京都に出て狩野派の鶴沢探鯨・探索に学び、法橋に叙せられた ...

風流を好んだ松平左近と讃岐の勤王家たち

松平頼該(1809-1868)は高松藩八代藩主・松平頼儀の長男として江戸小石川高松藩邸に生まれ、のちに「左近」と改名した。文武両道で、書画、和歌、俳句、茶道、華道、魚釣りなど、なんにでもひとかど以上の ...

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