UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま東北地方を探索中。

「画人伝・岩手」 一覧

無音の風景・松本竣介

松本竣介(1911-1948)は東京に生まれ、少年時代を岩手県盛岡で過ごした。中学入学の直前に激しい頭痛に見舞われ、その影響で聴覚を失い、この頃から画家を志すようになった。17歳で中学を中退して上京、 ...

資財を投じて盛岡橋本美術館を建設した橋本八百二

大正期に美術団体の活動と並んで、岩手の美術普及に重要な役割を果たしたのは、大正7年から13年頃まで毎年開催されていた「岩手県芸術展覧会」だった。同展は、岩手の帝展とも呼ばれ、絵画、彫刻、工芸、写真、書 ...

岩手洋画壇の基礎を築いた五味清吉

明治末頃になると、東京美術学校などで学んだものたちが帰郷し、岩手美術界の指導的立場で活動するようになった。明治38年、葛江月らは岩手初の美術団体で日本画中心の「彩友会」を結成、それに続き、明治43年、 ...

萬鉄五郎出現後の岩手の洋画家たち

2019/01/22   -画人伝・岩手, 洋画家

萬鉄五郎の出現によって一気に活気づいた岩手美術界では、つづいて佐々木精治郎、五味清吉、清水七太郎、熊谷登久平、白石隆一、舞田文雄らが現れ、それぞれの持ち味を生かして、大正から昭和、そして戦後まで活躍し ...

西洋の新思潮と格闘しながら多彩な画業を展開した萬鉄五郎

萬鉄五郎(1885-1927)がその才能を開花させたのは、明治末期から大正初めのことである。その時期は、続々と西洋の新しい絵画思潮が紹介されはじめており、萬はそれらと格闘しながら多彩な画業を展開させ、 ...

東京帝国大学植物学教室で植物学関係の挿図を描いた佐藤醇吉

岩手県大東町に生まれた佐藤醇吉(1876-1958)は、一関の小学校代用教員をつとめたのち上京、明治美術会の松岡寿に師事した。明治31年に東京美術学校西洋画科に撰科生として入学、卒業後は正確なデッサン ...

岩手洋画の先駆者・海野三岳

明治初期、岩手から「洋画」を求めて上京した画家に海野三岳(1851-1911)がいる。三岳は狩野派を学んだ海野楳岳の二男として盛岡に生まれ、幼いころから父に絵の手ほどきを受け、28歳の時に画家を志して ...

岩手初の美術団体「彩友会」を創設した葛江月

盛岡に生まれた葛江月(1880-1918)は、地元の中学を中退して上京、翌年東京美術学校日本画科に入学した。卒業後は盛岡に戻り、中学の図画教師をつとめながら制作活動をおこない、明治38年に、日本画家の ...

新潟の豪商別邸で板戸絵が発見された旧派の実力者・佐藤紫煙

現在の岩手県一関市に生まれた佐藤紫煙(1873-1939)は、16歳で上京し、水沢出身の菅原竹侶、ついで滝和亭に師事した。日本美術協会、正派同志会、日本画会などで役員や審査員をつとめ、官展には出品せず ...

月嶺・月村と続く盛岡藩四条派の流れを継いだ藤島静村

幕末に盛岡で生まれた藤島静村(1864-1935)は、明治はじめに北海道から帰郷していた川口月村に師事し、25歳の時には、内丸の協同商館(現在の盛岡市役所あたり)で個展を開いて反響を呼び、その才能は川 ...

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