「アイヌ絵」とは、蝦夷地と称されていた北海道の先住民であるアイヌの人々の生活風俗を描いた絵画のことで、「アイヌ風俗画」とも呼ばれている。アイヌは、お互いの姿を描くことを忌み嫌い、絵を描く習慣がなかったため、アイヌ絵は、蝦夷地に移住した和人や旅行者によって描かれている。
江戸後期から明治にかけて、蝦夷地の産物が広く知られるようになると、蝦夷地やそこで暮らすアイヌへの関心が高まり、それに異国趣味的な好奇心も加わり、人々は蝦夷地やアイヌの生活風俗を描いた絵画を求めるようになった。それに応じて、最初にアイヌ絵を手掛けたのが、松前の小玉貞良(1688頃-不明)である。
小玉貞良は、北海道の美術史のなかで、最初に登場する絵師で、それに先行する絵師は現在のところ確認されていない。生没年は不明だが、絵馬などに記された落款から、生年は1688年頃と推測され、活動期間はかなり長かったものと思われる。近世北海道で最も著名で、最初の本格的画人と称される蠣崎波響(1764-1826)よりも、半世紀以上も前の絵師ということになる。
師系も不明だが、松の木の定型化した描き方に狩野派風の特色があり、また「アイヌ釣魚之図」(掲載作品)には狩野派が好んで用いた壺型印を使用していることから、狩野派の流れを汲む絵師と思われる。しかし、17世紀末から18世紀前半の松前には師となるべき絵師がいなかったことから、当時松前に頻繁に出入りしていた近江商人との関係を介して関西で絵を学んだ可能性が高いと考えられている。
小玉貞良(1688頃-不明)
別号に玉圓斎、龍圓斎、龍斎などがある。「アイヌ盛装図」の落款に「松前産」「松前生」とあることから松前生まれと思われる。作品には、「アイヌ風俗画」「江差松前屏風」「蝦夷国風図屏風」「蝦夷絵」「アイヌ風俗絵巻」「蝦夷国漁場風俗図巻」「アイヌ盛装図」「アイヌ釣魚之図」「アイヌ章魚突きの図」「ウイマヌの図」などがある。
北海道(3)-画人伝・INDEX
文献:「アイヌ風俗画」の研究-近世北海道におけるアイヌと美術、描かれた北海道、アイヌ絵