画家略歴

ネット検索で出てこない画家 その6

矢崎千代治 やざき・ちよじ
明治5年8月横浜市生まれ。はじめ大野幸彦の門に学び、のちに東京美術学校に入り、35年卒業、36年から43年まで欧米諸国に遊学した。第3回文展「夕涼」、第4回文展「奈良」、第6回文展「機織」、第7回文展「草苅」、第9回文展「籔入」「樹蔭」、第10回文展「磯」、第11回文展「焙鑛爐」を出品して褒状または三等賞を得た。

保田素堂 やすだ・そどう
明治15年2月大阪市大寶寺町に生まれる。名は芳太郎。はじめ中川蘆月、竹内栖鳳、橋本雅邦に、のちに寺崎広業に学んだ。30年、大阪扶桑絵画協会で三等賞そ受賞。二葉会、巽画会、正派同志会、美術研精会などで受賞した。第1文展「佛陀と魔女」、第4回文展「秋の夜」、第5回文展「榛名の初夏」、第6回文展「秋林」、第9回文展「暮春」、第10回文展「緑陰」、第11回文展「和樂」を出品し数回褒状を得た。

安田稔 やすだ・ねん
明治14年10月新潟県長岡市に生まれる。はじめ小山正太郎に不同舎に入り、36年東京美術学校西洋画科を卒業した。その後ドイツに留学して44年6月ミュンヘン美術大学を卒業、さらに英仏で二年間研究し、在欧7年ののちに帰国した。滞欧中にロンドンのアート・ソサエティに出品して受賞した。第8回文展「お茶どき」、第9回文展「樹蔭のまどゐ」、第10回文展「肖像」、第11回文展「盛夏」を出品した。太平洋画会会員。

山名義海 やまな・ぎかい
慶應元年8月江戸生まれ。名は繁太郎。はじめ住吉廣賢に、のちに住吉派の父・山名貫義に学び、帝室博物館技手監査掛、美術部絵画主任などを務めた。大和絵および絵画の鑑定に長じ、博覧会、展覧会などの受賞も多い。

参考:UAG美人画研究室(山名義海)

渡邊金秋 わたなべ・きんしゅう
美濃の人。通称は鍬太郎。10歳の時に狩野派の武光桂園に学び、18歳の時に上京して宮本三平に師事した。18年から25年まで帝国大学で動植物写生に従事、また画手本数種を編纂した。22年明治美術会に入り、ついで福地復一と日本図案会を起こし、38年1月、40歳で病没した。

文献:明治大正文學美術人名辭書




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