画家略歴

茨城(2)-ネット検索で出てこない画家

池田阿彦 いけだ・あひこ
明治年間の画家。水戸藩の画員池田養信の子。代々狩野派だったが、時の藩主の命により住吉弘定に学んだ。

岩間華仙 いわま・かせん
明治16年生まれ。名は久子。岩間東芝の孫。梅津霞峰の門に入り山水を学び、のちに相馬寛哉に花鳥を学んだ。大正13年、32歳で死去した。

飯田芳文 いいだ・ほうぶん
明治元年生まれ。鹿島郡松川藩の人。津島寿山の門人。茨城県女子師範、水戸高女の図画教師を勤め、退職後も画技を研究し茨展などに出品した。昭和15年、73歳で死去した。

磯山六郎 いそやま・ろくろう
明治40年笠間市荒町生まれ。16歳で木村武山の門に入り、青々と号した。昭和13年院展に入選、以後昭和17年まで連続入選。昭和19年5月17日、38歳でニューギニアで戦死した。

雲友 うんゆう
明和元年生まれ。常州の人。鼠除猫の絵を得意とし、京洛中この絵を描き歩いたと『白心伝』に記載されている。安永3年頃死去。

宇佐美竹城 うさみ・ちくじょう
常陸大田の宇佐美太奇の子。名は翼。水戸市雷神町前で父の画法を伝えて、花鳥を得意とした。のちに江戸に出て英語を学び、写真を研究し、明治5年に雷神前で写真館を開業した。明治22年死去。

恵鶴椿南 えつる・ちんなん
寛政6年生まれ。古河の人。早瀬清蔵の長男。名は寿、字は芥舟。椿椿山の門人で南画をよくした。妻は雲幹。明治3年、75歳で死去した。

恵鶴雲幹 えつる・うんかん
文化元年潮来生まれ。亀坂京助の長女、名はせき、女性画家として南画の山水をよくした。夫は椿南。明治22年、86歳で死去した。

海老沢柳糖 えびさわ・りゅうとう
明治20年生まれ。下館の人。橋本雅邦の長男・秀邦に絵を学んだ。

小栗宗甫 おぐり・そうほ
長禄頃の画家。小栗宗舟の弟、画を兄に学んだ。

小栗宗佐 おぐり・そうすけ
永正年間の画家。小栗宗舟の子、画を父に学び、これより代々宗佐と称した。

越智凌雲 おち・りょううん
慶応年間の人。水戸藩士。名は兼良。松平雪山の門人で、花鳥山水を得意とした。

岡野梅老 おかの・ばいろう
文化元年生まれ。古河藩士。名は為治。漢詩、和歌、俳句、南画をよくし、使番用人などを勤めた。渡辺崋山に師事した。枚田水石と親戚筋で、奥原晴湖にも影響を受けた。明治5年死去。

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文献:茨城の古書画人名事典




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