画人伝・福島 南画・文人画家 山水・真景

日本全国の古文化財を記録した『集古十種』の編纂に携わり真景図を数多く手掛けた画僧・白雲

白雲「会津津川冬景図巻」(部分)

白雲「会津津川冬景図巻」(部分)

画僧・白雲の出生地は確かではないが、福島県の須賀川付近だと考えられている。須賀川十念寺で得度し、江戸に出て桜井雪館から漢画を学び、ついで京都で四条派を学んでいる。伊勢寂照寺経蔵の建設資金調達のため全国行脚をしている途中、須賀川に立ち寄り、寛政元年十念寺の住職となった。

十念寺で住職をしていた白雲は、寛政6年頃、白河藩主・松平定信にその画才を見出され、谷文晁の門に入り、その後は定信や文晁の強い影響のもと、寛政・享和年間を中心に写実的風景画である真景図を描いた。当時定信が中心になって編纂していた『集古十種』にも絵師の一人として加わっている。

『集古十種』は、日本全国の古文化財を記録した木版図録集で、文晁をはじめ多くの絵師たちが資料収集や模写に携わっている。白雲は、寛政11、12年の両年、白河藩絵師主・巨野泉祐とともに、畿内、讃岐、山陽道方面に西遊紀行し、資料模写を行ないながら沿道風景を描いた真景図画冊を数多く残している。

白雲「青緑山水図」

白雲(1764-1825)はくうん
明和元年生まれ。浄土宗名越派の僧侶名は良善上人、法阿教順。別号として閑松堂、松堂、黒痴、蝸牛庵、無心などがある。須賀川十念寺で得度し、江戸に出て桜井雪館から漢画を学び、ついで京都に出て四条派を学んだ。伊勢寂照寺経蔵の建設資金調達のため全国行脚の途中須賀川に立ち寄り寛政元年十念寺の住職となった。寛政5、6年頃、松平定信に見出され、『集古十種』編纂のため数度関西や山陽方面へスケッチ旅行をした。のちに谷文晁の『名山図譜』に図を寄せるなど写生画の名手として知られた。須賀川十念寺のほか白河城下の内寺東林寺、常宣寺でも住職をつとめ、晩年は秋田六郷の本覚寺に住んだ。文政8年、62歳で死去した。

福島(6)-画人伝・INDEX

文献:白河の歴史、白河を駆け抜けた作家たち、ふくしま近世の画人たち、白河を駆け抜けた作家たち、定信と文晁、秋田市立千秋美術館所蔵作品選、秋田書画人伝、東北画人伝




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